天鏡閣-内部 日本の木造洋風住宅の歴史
(学習研究社/「日本の民家」第八巻・洋館より)

日本の木造洋風住宅の歴史は140余年とまだ新しい。
しかし、日本の洋風民家の歴史から学ぶべき点は多々あると思います。その様式やスタイルは、今日の住まいづりに少なからず影響を与えていることは否めません。
天鏡閣-外観

天鏡閣

福島県耶麻郡
明治四一年(一九〇八年)
木造二階建 鉄板葺
建築面積 五〇五・七㎡(本館)
天鏡閣は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の御別邸で、磐梯山(ばんだいさん)や那須の山々を望む猪苗代(いなわしろ)湖畔に建つ。完成してまもなく東北御巡遊中の東宮殿下(大正天皇)が滞在され、この湖に映しだされた美しい風景を賞して天鏡閣と命名されたといわれている。建物は格式ばらず、エキゾチックで遊戯的な雰囲気をもちながらも、華美な装飾はない。しかし、凹凸の激しい壁面や、八角塔を頂点に緩急を組み合わせた屋根などで、見る時間や角度に応じて変化する豊かな外観を作り出している。外装は水平板張りでペンキ塗り仕上げのフランス的な北米系スティック・スタイルで、日本の伝統的な木造軸組工法の技術が生かされている。この様式は、宮内省依頼の建物に多く見られるもので、皇室は日本の近代洋風建築の発展に、大きな役割を果たしている。