作家 川北町二の魅惑世界

◇ 第4話 私の指定席

 こんなことがありました。
 「山の女神」に向かって乾杯の仕草をしていた時のことです。ふとなにげなく、カウンター内の、いつもの女店員のほうを振り向きました。すると、多分偶然なのですが、私の目の延長線上で彼女の目線と正面衝突したのです。彼女はいつものにこやかな顔でこちらに会釈し、右手でカップを目の辺りまで持って、乾杯の仕草をしてくれたのです。私はうれしくなって、左側の出窓に向かっていた珈琲カップを、斜め右側の彼女のほうに向きを変え、高々と持ち上げました。

 こうして、いつしか私は、
「女神様ありがとうございます!」
「今日も元気で美味しい珈琲やランチがいただけます。この幸せに感謝!合掌!」
 と、心の中でつぶやきながら珈琲やランチを楽しむようになりました。そして、いつまでも、この楽しみが続くことを願いました。唯一心配なことは、この窓からの視界をさえぎるような建物などが出現することです。全くありえないことではありませんので、私は、そうならないように、ただただ祈るばかりでした。

 そんな日々がしばらく続きました。

 ある日、晩秋が朝から快晴を招待していました。毎日淡々とした仕事が私の時間を消耗しています。淡々さの中にも、こよなく好きな仕事が出来るという喜びをいつも感じます。ところがその日は珍しく、いつもよりもハードな仕事を余儀なくされて、とても忙しく動き回りました。
 携帯電話は便利なようで、たまに煩わしく思うことがあります。特にこの日のように目の回るような忙しい時は尚更です。しかもこんな日に限って、普段より多いあちこちからの携帯音でイライラしてしまいます。
 音色の違う携帯音が鳴った。おやっと思って見たディスプレイには、レストハウス店長という文字が浮いていました。この店長とは、付き合い始めて日はまだ浅いのですが何故か気が合うのです。必然的に携帯の番号を取り交わしていました。
「ずいぶん珍しい方からのお呼びですなあ」
「すみません。今いいですか?」
「いいと言えばいいが、悪いといえば悪いなあ。あはは」
「すみません。少しお知らせしておいた方がいいと思いまして」
「おやおや、そういう言いかたは良くない事かな?」
「はい、そうなんです。今日はお店にいらっしゃいますか?」
「うん、お邪魔するつもりだけど、何かあったの?」
「はい。今日は朝から団体さんが入ってまして、満席なんです。午後の4時以降でないと席が空かないものですから」
「あはは、お客さんが満席で良くない話なの?ありがたいことじゃないの。さすが人気のお店だね」
「もちろんありがたいことなのですが、いらっしゃった時に、そういう状態だと悪いと思いまして」
「相変わらずだね。さすがだなあ。わざわざ連絡してくれるなんて、気遣いが嬉しいねえ」
「取り急ぎ連絡をと思いまして」
「了解!こちらも忙しい日だけど、そちらも超忙しい日になりそうだね。4時過ぎにお邪魔します」
「ありがとうございます。無理言ってすみません。お待ちしています」

 夕方近くになるころ、身体が休憩のサインを出しているほどでした。午後の4時ごろ、仕事場から重い疲れを背負い、レストハウスのドアを開け押し入りました。鈴の音が心地よく響きます。そして、いつものように珈琲の甘い香りを抱いたジャズの音が耳に飛び込んできます。おやっ、私の好きなテイクファイブではないか。ピアノとベースとドラムが楽しそうに遊んでいます。なんとも言えない音の世界を演出しています。もはや私の指定席と化したソファーに疲れた身体を深々とあずけ、窓から見える山の姿をちらっと目にしました。そして、振り向くと、カウンター越しに店長が深々と頭を下げていました。私は軽く会釈しました。

「いらっしゃいませ」
 伝票らしきものとボールペンを手に持ち、注文取りに現れたのは、いつものあの美しい女店員ではありませんでした。多分休暇を取ったのだろうと思いました。私は、少しがっかりしながらも、いつものようにブラック珈琲を頼みました。
 窓の外の、こんな晴れた日の午後の4時ごろは、日がやや西に傾き、山の女神の寝像にオレンジ色のスポットがきらめき、一段と美しい魅力的な寝像を見せてくれます。いつものように絵から抜け出たようなその美しさに感嘆しながら、ぼんやりではありますが、じっと見つめていました。

 その時です。

第4話 私の指定席
タイトルとURLをコピーしました