大会社の中枢部への挑戦を決意した、一社員のとった行動が意外な展開を生む
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◇ 第一章 青い波

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□ 第一章 青い波 □

「津山君、ちょっと来てくれ」

 津山清太郎は、株式会社愛羅スタイル東京本社の建設資材部の営業管理課主任である。勤務暦十年の三十二歳である。
 主にビルや住宅等に使用される建設資材の、流通に関する部門の全営業課の管理を担当していた。
 各営業課は、建材流通問屋や住設流通問屋等に資材の仕入を働き掛ける、いわば会社の売り上げの中枢を担っていた。
 津山は各営業課から提出される売り上げ伝票や月間及び各四半期毎の計画書をチェックし、営業会議の資料を作成する業務等を担当していた。

 (株)愛羅スタイルは、主にビルや住宅等に使用される建設資材商品の原材料調達・生産・販売までの過程で発生する物流を担う中堅の商社で、各建材・住宅設備メーカー等の建設資材を、建材流通問屋や住設流通問屋等への卸売事業に特に重点的に取り組んでいる企業である。他に種々の事業を展開する、国内でも有数の企業として名を馳せている。

 課長の沢田富雄に呼ばれて、津山は課長のデスクの前に立った。
「少しいいかな?」
 沢田は厳しい顔で津山の顔を見て言った。津山を応接間に導き、ソファーに座るように促した。

 世は不景気旋風が吹き荒れていた。ご多分に漏れず愛羅スタイルも売上が激減していた。特に、ビルや住宅の着工数の減少等で、物流が滞り、当然の結果として、少ないパイの取り合いから価格競争が熾烈になり、利幅もかなり減少していた。
 各営業課の管理を担当している津山は、各営業課から報告される書類に目を通す度に深いため息をついていた。当然の成り行きとして、社員の数を減らし、この難局を乗り切らねばならない。いわゆるリストラが懸念されるのである。

 大企業を中心にして、大リストラの進行中であり、そのことが毎日のようにマスコミで報道されていた。失業者が溢れ、中高年の自殺者が増え、戦後最悪の社会情勢になりつつあった。
 中堅企業の(株)愛羅スタイルも例外ではなかった。いよいよその時期が来ていた。人事部を中心に密かにリストラの人選が進んでいた。

 リストラされても、好景気なら他社で再出発も可能であろうが、このスパイラル的な不景気では、雇用してくれる企業などあるはずも無かった。まして、中高年にとっては、まさに悲惨な結果をもたらしていた。企業が生き残る為の手段とは言え、あまりの非情さにただただ右往左往するばかりである。

 
会社の歯車となり、しゃにむに働いてきたのは、一体なんだったのか。明日を夢見て、この会社と己の運命を共にしようという、あの情熱は夢と消えてしまうのか。これから先、どうやって家族を養っていけば良いのだ。住宅ローンはどうやって返済していけば良いのだ。
 慟哭にも似た悲痛な叫びが日本いや全世界から聞こえてくる。

 世界中で繰り広げられる地域紛争や、人権問題、難民問題、地球環境の急速な悪化等々が、経済界に波及し、あらゆる分野の物流を中心に、負のスパイラルとなってじわじわと国際社会を疲弊させている。こんなにも世間を揺るがす事態になるなんて、誰が想像したろうか。

 その様な状況下、津山は思うことがあって、一年ほど前から、会社に対しある提案を申し入れる事を目論み、その機会をうかがっていた。

「営業一課が今交渉中の東条物産の件だがな」
 応接間のテーブルに置いた書類を見ながら、沢田課長は津山の目を見て切り出した。沢田課長は売り上げの低迷の責任をとらされることに危機感を覚え、事ある毎に津山に問いただしてきた。課長にとって目下のところ東条物産の件は、最重要事項の案件だった。
 津山は課長の思惑から判断して、いずれこの案件が必ずテーブルに乗っかり、議論の対象になることを予測していた。

「はい」
「今現在の進捗状況はどうなってる」
 予測の開始が宣言された。津山は密かに我が意に拍手した。
「はい、我社の得意先になって欲しいと思って、今鋭意交渉中ですが、なかなか思うように行っていません。何か?」
 津山のこれまでの業務管理能力と行動力は、社内で評判となり、その手腕は若手のホープとまで囁かれるほど高く評価されていた。
「君ほどの実力者でも上手くいかないのは何が原因だと思う?」
 津山は、同行営業の先々で、どの会社も新たに取引先を増やすほどの体力が無いことを強く感じていた。しかし、営業一課の担当であるとは言え、各営業課を束ねる管理課の担当者として、そのことを東条物産との交渉が上手くいっていない理由にしたくなかった。
「すみません。ひとえに私の力不足です」
「何を言う。そんなの理由にならないよ」
 課長の目が鋭く迫った。
「一つだけ、考えるところがあるのですが」
「うん、何だ」
「東条物産への卸価格を下げたらどうかと……」
 課長がとっさに言葉を遮った。
「それは出来ない。今、東条物産に対して提示している卸価格も、ギリギリの線だということは君だって知らない訳ないだろ?」
 課長の至極ごもっともな発言に、津山は首を縦に振らざるを得なかった。
「はい。ですね」

 課長の立場も痛いほど分かっていた。じり貧を続ける売り上げの首を、何としてでも上向かせなければならなかった。それこそ自分の首が危なくなる。そ必死の思いが伝わってきて、津山としても心が痛んだ。

「ほんとにもう手の打ちようがないのか?えっ?津山君」
 津山は、課長のその言葉にふと何かがひらめいたふりをした。いよいよ作戦開始だ!津山は心の奥底で叫んだ。
「課長、ヒントになりそうなことを、今思いついたのですが」
「おっ、そうか、何だ?」
「ダメ元で聞いて下さい」
「ダメ元?そんな話聞いても時間の無駄じゃないのか?」
 と、言いながら目は津山の口元を見つめていた。期待丸出しの目である。
「はい、このことは、ここに配属になる前の、CAD・CAM課にいた時から考えていた事なのですが」

 津山は建設資材部の営業管理課に配属になる前は、木材事業部のCAD・CAM課で住宅の構造材のプレカットの管理を長年任されていた。各課からの依頼された図面をチェックし、加工用の図面を作成・インプットして、コンピュータの全自動制御による加工に委ねる作業を日夜担当していた。営業管理課に配属になったのは二年前のことである。

「うん、で、そのヒントとは?」
 課長の目は、先を急ぐよう津山に促した。
「はい、物流のIT化です」
「何?物流のIT化?……どういう事だ?」
 課長には聞き慣れない言葉だったようである。

「一言で言いますと、AIの仕組みも取り入れた、IT化されたシステムに物流を委ねるというものです」
「…………ますます分からん」
 津山は話を続けた。
「先日気になって電算課に行って聞いてみたのですが、我が社でも随分と以前から開発がなされていたようで、いよいよ近々、コンピュータによる物流システムの完全実施に踏み切るみたいでですよ」
「えっ、ほんとかよ。いつからだ?」
 課長には寝耳に水の事のようだった。
「箝口令が敷かれていて、ただその程度しか聞けなかったのですが、私の推察では、今、最終段階のようでしたから、多分ここ半年内には、内外に正式発表となるのではないでしょうか」
「おいおい、それが実施されたらどうなるんだ?」
 寝耳に水の情報が、課長の顔に不安な色を塗る。
「それは分かりません。そのうち担当部署から説明があると思いますが」
「君はまるで他人事のように、のんびりしたことを言うなあ」
「あはは、課長心配ないですよ。説明を聞いてから考えればいいことですからね」
「う~ん、…………」
「もしこれが業界に先駆けて実施されれば、物流業界に於ける我が社の優位性は、揺るぎないものになると推察できます」

 津山が会社に対しある提案を申し入れる事を目論んでいた背景には、図体はでかくても、旧態依然とした会社のあり方に大いなる不満があったからである。このままでは、いずれ経営上の大きな試練が訪れてしまいかねない。
 嫌気がさして会社を辞めてしまうことも考えた。しかし、考えに考え抜いて、ある提案を申し入れる事を思い付き、決行してみようと考えた。失敗も覚悟だった。失敗したら責任をとって退職すれば良い。
 その提案の中核に、恐らく半年後くらいに会社が正式発表するであろう、物流のIT化を据える事で、ある種面白い事が展開されるのではと考えた訳である。

「分かった。で、その事と東条物産と何か関係があるのかね?」
「はい、これは何気ない会話の中から生まれたのですが」
「何気ない会話?誰との会話だ?」
「実は東条物産には、私の一つ下の後輩が勤務しています。坂田と言います」
「ほ~、君の後輩が東条物産に?初耳だな」
「担当部署が全く違いますので、仕事上で接触することはないのですが、たまに飲み食いをすることがあります」
「なるほど。で?」
「先日のことですが、その飲み食いの席で、後輩が何気なく発した言葉が、喉にトゲがぶら下がっているようで気になっていました」
「その後輩、坂田君とか言ったな、何と言ったんだ?」
「それが私の言うヒントです」
「だから彼は何と言ったんだ?……いい加減じらすなよ」
 課長は津山の顔をじっと見つめながら催促してきた。
「物流のIT化です」
「またこれだ。もっと俺が理解できるように、かみ砕いて話してくれないかなあ」
 津山は課長との会話を楽しんでいた。
「こういう事です。後輩の言葉をそのまま言います」
「うんうん、分かった」
「東条物産では今、将来への布石のために、コンピュータによる物流システムを構築しようとしているが」
「が?」
「どうしたものか未知の世界で、構築しようにも、どうやって構築したらいいのかさっぱり分からないと言うのです」
「はは~、読めてきたぞ」
「はい、そういう事です。それがヒントです」
「おいおいそこで話を打ち切るなよ。読めてきたぞと言ったのは、東条物産も俺と同レベルだと思ったんだよ」
「同レベルですか?おっしゃってる意味が理解できませんが」
「俺も君の言ってるIT化だとかシステム構築だとかが理解出来ない。同じ事だろ?えっ?」
 津山は課長の言葉を少し微笑みながら遮った。
「課長違いますよ。東条物産は、IT化だとかシステム構築の何たるかは勿論十分理解しているのです。将来に向けてどうしても実現しておかなければならないと考えていると思うんです。だから悩んでるんだと思います。問題は、構築する為、実現する為の技術的方法が分からないと言ってるのです」
「あ、そうか、そうか、技術的方法ねえ」

 津山は会話のすれ違いにあきれ果てていた。噛み合わない。
「はい、技術的方法です。これを解決しない限り実現は無理ですからね」
 
「……これを解決しない限り実現は無理?だろうな。何となく分かりかけてきた」
「ですか、では課長、私の言うヒントに隠された問題を解いてみて下さい」
「馬鹿言うなよ。それが分かるくらいなら苦労しないよ」
「私は営業一課の担当の知花君と良く同行営業するのですが、この件を東条物産の窓口担当者に話していいものかどうか、ずっと悩んできました」
「同行営業で悩んでいた?東条物産の担当は知花君ということだな?」
「はい、そうです。私はこれが東条物産に『ウン』と言わせる最も効果的で最後で最高のキーワードだと思ってはいても、なかなか切り出せないでいる自分がいます」
「なぜ切り出せないのだ」
「私にも分かりません。もう少し時間が必要のような気がしますし、かといって」
「ん?かといって?」
「時間を掛ければ東条物産が自己解決してしまいかねない。そうなると全く意味を持たなくなる。何もかもがゼロに期して、場合によっては、東条物産とは永遠に取引が不可能になってしまいそうな気がします」
「……」
 課長が沈黙した。

「ヒントの答えはこうです」
 課長の顔がぱっと明るくなった。
「うんうん、話してくれ」
「簡単なことです。東条物産が喉から手が出るくらい欲しがっているもので、我が社に有るものと言えば?」
 課長が鬼の首を取ったような顔になり叫んだ。
「お、お、分かった。津山君やっと分かったよ。東条物産に物流システム構築のノウハウとか技術的指導をサポートする見返りに、我が社との取引を提案する。……これだな?……だろ?」
「さすが課長ですね」
 課長が津山の提案している内容を、百パーセント正しく理解して言っているのか多少疑問を持ちながらも、一応課長を持ち上げた。
「そうか、正解か?」
 課長は嬉しそうな表情を見せた。
「ヒントの正解が出ました。どうですか?この案は」
「うんうん、さすがに津山主任だな。管理能力の天才だ」
「あはは、課長オーバーですよ。まだまだ相手があってのことですから、やってみなければ、すんなりとは行かないと思いますよ。単なる案に過ぎませんから」
「そうかもしれないが、当社としては藁をもすがりたいところだから、提案する価値は十分あると思う」
「幸いに半年後くらいには、物流システムの件が関連部署から正式に発表があるでしょうから、タイミング的には今が絶好のチャンスかもしれませんね。いや、発表後が良いですかねえ。どっちだろう」
「だな。主任ありがとう!早速上司に提案書を提出して相談してみるよ。こういう類いの事って、企業秘密的なことがあるかもしれないから、提案が却下されたりするかもしれないが、もうここまで来たら一か八かやるだけのことをやるしかないね」
「上がどういう判断をするか楽しみですね」
「二・三日時間をくれ」
「上手くいくと良いですけどね」

 席に戻り津山は大きく息を吐いた。 そして、急に東条物産本社の坂田康平に会いたくなった。
 やおらスマホを耳に当てた。
「あ、先輩、ご無沙汰です。お元気ですか?」
「うん、元気だ。お前は?」
「ええ、お蔭様で、仕事も順調ですし」
 坂田は津山とは同郷で一つ下の後輩であった。東条物産の事務部門に所属していた。
「そうか、ちょっと話したいことがあるんだが」
「はい 何か?」
「いや……」
 津山は言いかけて、社内で話すにはまずいと思った。
「今日は、社が引けてから食事でもしないか。時間取れるか?」
「そうですね、八時過ぎなら大丈夫です」
「そうか、じゃ、ちょっと付き合ってくれないか」
「ええ、いいですよ久しぶりですし、喜んで」
「うん、ありがとう。じゃ、例の所で八時半でどうだ?」
「解りました。都合が悪い時は携帯します」
「分った。じゃな」

 津山は八時十五分に会社を出た。
 どんよりとした夜の東京の空の下、初冬の雑踏は肌寒かった。


第一章 青い波
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