この物語は正義感に満ちた一人の男の物語です
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◇ 第8章 カップリング

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□ 第八章 カップリング □

 早川は、来年四月の国際設計コンペの締め切りに向かって、猛烈な勢いで作業を進めて行った。五人の増員でさらに推進力が増し作業は遠回りした時間を吸収して順調に推移していった。

 今日から師走の木曜日。夜になり友人の中村と新聞記者の内村との、忘年会を兼ねた初飲み会をした。三人とも酒の量はいけない口である。だから、もっぱら食べるか喋るかのどちらかである。深い信頼関係でつながる三人の話題は健全そのものである。世相や経済界や仕事の話はあっても、ゴシップまがいの話や女性に関する話はまるでない。早川が結婚の話を切り出して、ようやくポツリポツリと語る程度である。中村も内村もそろそろ身を固めなければとは思ってはいるが、いま仕事が面白くてたまらないとうそぶく。大体が女性に対して奥手なのは確かである。とどのつまり、早川に、いい女性がいたら明日にでも紹介してくれと言い出す始末である。
「紹介してくれというけど、まさか外交辞令と違うだろうな。いや、実は付き合ってる女性がいるんだよ、なんてことにはならないよな?」
 本気にそう思っているのだな、と念押しの確認をしたら、二人とも異口同音に「そうだ」と返事が返ってきた。
「実は、二人に紹介したい女性がいるんだよ。同じ会社の社員だけど、二人ともとても魅力的な女性なんだ。そこそこスタイルもいいし美人だし、何よりも人間性がいいね。きっと気に入ってくれると思うけど、……どうする? ……会って見る?」
 中村と内村の目が輝いた。是非共頼むと言う。君が紹介してくれるんだったら是非会ってみたいと言う。
「その代り、将来に亘って女性の立場を損なわない、つまり意思決定がなされるまでは、明るく健全なお付き合いをして、心身にわたり女性を傷つけないという約束をして欲しいのだ。紹介する俺の立場も考えて欲しいからな」
 中村と内村は、それは当然のことだと言って約束した。
 早川は、中村と内村の個人のメルアドを聞き出し、手帳に書き留めた。今後の連絡に使用する為である。早川の個人用メルアドも二人に教え、このメルアドに、見合い用に使う顔写真を添付ファイルで送信するよう依頼した。

 次の金曜日の朝、甲斐オーナーから電話があった。急な話で悪いけど、今夜二人の祝賀会をしないかと言うのである。昨夜の忘年会は話がはずみ、深夜に及んだ。連チャンにはなるが、元々下戸には二日酔いなんて無縁の世界である。早川は喜んで承知した。甲斐オーナーの電話で思い出したことがあった。早川はマネージャーの水島に電話した。
「あ、早川さん、先日はありがとうございました。お元気ですか?」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。お陰様で元気してます。……水島さん、早速で申し訳ないのですが」
「はい、もしかしたら、もしかしましたか?」
「お察しの通りです」
「ほんとですか? それはありがたい」
「で、お願いがあるんですが、個人用のパソコンはお持ちですよね?」
「ええ、持っています」
「これから、私のメルアドを申し上げますから、控えていただけますか?」
 早川は水島に自分のメルアドを告げた。
「控えました」
「そのメルアドに、水島さんの個人用のパソコンから、見合い用に使う水島さんの顔写真を、添付ファイルで送信していただけませんか?」
「分りました。自宅に帰りましたらメールします。ご連絡を楽しみにお待ちしています」
「よろしくお願いいたします。……あ、それとメールにも書くつもりですが、ご紹介する女性は同じ会社の社員ですが、とても魅力的な女性です。そこそこスタイルもいいし美人ですし、何よりも人間性がいいですね。きっと気に入ってくださると思います」
 早川は、昨夜の忘年会の時と同じようなことを水島にも言った。
「そうですか、それはありがたいことです」
「そこで、水島さんお願いしたいことがございます」
「何でしょうか?」
「ご紹介する女性のことなのですが、将来にわたって女性の立場を損なわない、つまり、意思決定がなされるまでは、明るく健全なお付き合いをして、心身にわたり女性を傷つけないという約束をして欲しいのです。同じ職場の女性ですから、出来ましたら、ご紹介する私の立場も考えて欲しいのですが」
 水島は電話口で、それは言われるまでもないことです。当然のことだと言って約束してくれた。

 夜になり、甲斐オーナーの指定する場所で会食し、その後クラブで遅くまで飲んだ、というより、お付き合いさせられたと言った方が正確である。甲斐オーナーは離婚が成立したことに、精神的苦痛から解放されたのか、大いにはしゃいでいた。早川の結婚が具体的になったことのお祝いも、我がことのように喜んでくれた。
「早川さんいよいよこれからね。今でも凄い人だけど、伴侶を得て、これから益々期待出来るわね。楽しみだわ」
「ありがとうございます。オーナーのお蔭です。これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします」
 別れる時のオーナーは、この前のようなセンチなオーナーではなかった。ルンルン気分のいつものオーナーに戻っていた。早川はなぜかホッとした。別れ間際に、水島の件急いでね、と、念を押された。

 今週に入りずーっと気になっていたのが、浅田と田部井と島田のことである。早川見合い塾とかの塾長に担ぎ出され、素敵な男性を紹介してくれと言われて、ついその気になって引き受けてはみたものの、どうしたものかと思いあぐねていた。三人ともとても個性的で素敵な女性達である。かといって、ただ単に考えなしに男性に引会わせればいいという訳にはいかない。そういう紹介の仕方は、必ずミスマッチしてしまう。人を人に紹介するということは、場合によっては、お互いの一生を左右する重要なことだから、軽はずみに紹介する訳にはいかない。簡単なようで、いざとなると実に厄介なことである。よしんば、紹介する相手がそれぞれ見つかったとして、どうやって引き合わせるのだ。三人で飲食してその場で紹介する? そして後はお好きなように? ……面白くないなあ。
 一般的に言われているお見合いは、知り合い(世話人・仲人等)や世話好きの叔父さんや叔母さんなどが、話を持ってくるのが普通のパターンである。『こんな人がいるんだけど』と話が舞い込んで来たり、『良い人がいたらお願いします』と言ったりもする。場合によっては釣書や写真を渡すこともある。しかし、世話人も直接ではなく、知り合いの知り合いの……、などという人脈でお見合相手を紹介している人が多い為、必ずしも希望通りの相手を紹介してくれるとは限らないと聞いている。

 釣書には一般的には身上書が記されているが、中には家系図が添えられる場合もあると聞く。身上書には氏名、生年月日、本籍地、現住所、学歴、職歴、身長・体重、趣味、特技・資格、生活信条・信仰・収入等、家族の欄(親族書・家族書)などが記されている。場合によっては血液型や星座などが記されている場合もある。しかし、過去の詳しい病歴や性格のことが記された釣書は、見たことがないし聞いたこともない。確かに、生涯を連れ添う相手のことを、事前に知っておくことは大事だとは思う。しかし、釣書を交換して結婚したカップルの中で、生涯幸せに暮らしたカップルが何組あっただろうか。離婚を余儀なくされたカップルが何組あっただろうか。もし不幸とか離婚という事態に至ったとすれば、その原因は何だったのだろうか。
 そもそも、結婚とは何なんだろうか。何のために結婚するのだろうか。どこに結婚の意義を求めればいいのだろうか。結婚には大きく分けて、好き会った者同士が、恋愛という形を経て結婚するというパターンと、人からの紹介による見合いを通して知り合い、結婚するというパターンがある。いずれも、一つ屋根の下で生活を共にし、子宝に恵まれて、願わくば、生涯幸せであって欲しいと思うことには変わりはない。だがそれは、あくまで結婚する時の願望に過ぎないのであって、現に手にしている訳ではない。当たり前の話である。
 時間の経過とともに、願望がどこかに飛んで行ってしまった。こんな筈ではなかった。そんな思いが毎日繰り返されてくるようになってくる。出来れば、そういう風にならないように必死に努力はしてみたものの、覆水盆に返らずである。このような例は敢えて言うまでもない。数え切れないくらいあるのである。
 幸せの定義ってあるのだろうか。以下のような話をよく耳にする。

  • お金をたくさん持っているから幸せ。
  • 会社の重要ポストに就いているから幸せ。
  • 好きな人と暮らせるから幸せ
  • 子供がいるから幸せ。
  • 生活が安定しているから幸せ
  • 長生きできたから幸せ。

 これに対して以下のような話も良く耳にする。

  • お金はないけど、とっても幸せよ。
  • うちの旦那は晩年平社員だけど、でも、幸せよ。
  • 好きな人と暮らしているけど、将来のことを思うと不安なの。
  • 子供の将来のことを思うと、このままでいいのかしらと思う時がある。
  • 子供が欲しいのに、結局子宝に恵まれなかった。
  • 生活は確かに安定しているけど、心の中はいろいろなことがあって安定していない。
  • こんな殺伐とした世の中では、長生きすることは苦痛だ。

 もちろん悪い話ばかりではないが、悪いパターンに陥ってしまうのには、何かはっきりした原因があるのではないだろうか。

 悟は結婚の問題についていろいろ考えてみた。自分も来年の五月には亜希子と結婚をして新しい人生がスタートする。ここで改めて結婚のことについて考えるのも満更悪いことではない。
 男女の違いにより、またはそれぞれの考えにより、いろいろな意見があるとは思うが、男も女も伴侶を求める最大の動機は、一言で言えば人との絆、家族の絆が欲しい。一人で生きて行くより、共に生きて支えてくれる人が欲しい。楽しくて喜びに満ちた、生涯幸せな人生を送りたいからであると思う。もちろん、伴侶がいなくても、それは実現出来るという人もいると思う。それを否定するつもりは毛頭ないが、ただ、これだけは言える。家族を作り、それが大きく社会の絆の一員なって初めて、本当の意味での、人生の喜びを味わえることが出来るのではないかと。
 その礎となるのが、心身ともに健康であることが求められる。その上で、お互いに精神的向上を図ることがとても大切だと思うのである。従って、心身共に健康で精神的向上を図ることの出来る伴侶こそが、理想の伴侶と言えるのではないだろうか。
 日々の暮らしは、ややもすると肉体的な生活が主になり、精神的な面がおろそかになる傾向がある。これが原因で、伴侶との人生が、思いもかけなかった方向に流されていくことも充分考えられる。その意味で、生涯連れ添う伴侶は、顔やスタイルや学歴・職歴などの前に、その人の性格や人生観を最も重要視するべきだと思うのである。
 お互いの性格や人生観に寄り添って生きて行くことが出来れば、少々の困難は乗り越えることが出来ると思う。
 普通、釣書にはそんなことは書いてはいない。だから、全く意味がないとは言わないが、充分ではないのである。
 生涯を連れ添う伴侶の必要条件には、相手の立場や人間性や考え方、特に人生観などを特に重要視し、お互いが相手を充分に満足出来ることが不可欠である。つまり、それぞれが持っている心を尊重して、それを正しく相手に伝え、受け取った相手が心の底から納得する必要があるのだ。はたしてそんなことが可能だろうか。
 人の心もそうであるように、容姿やスタイルのことについて、言葉ではあまり気にしていないようなことを言っておきながら、実のところは、微妙に食い違いが生じたりするものである。表と裏が違う。言ってることと腹が違うなんてことはざらである。
 人間は欲張りな動物でもある。ないものねだりなところもある。そう考えると、誠に勝手で始末の悪い生き物でもある。そのような考えを優先した結果は、充分に満足したものであったのだろうか。はなはだ疑問を感ずるのである。
 顔のシワは加齢と共に否応もなく現れる。これは、全ての人に与えられた宿命である。一方、心にもシワは出来るのだろうか。つまり、肌と同じように、心に張りがなくなり衰えていくものなのだろうか。答えはノーであろう。心に磨きがかかりシワのない人は、伴侶の顔のシワを笑顔で受け入れてくれる筈である。これは、心が、人間愛という崇高な精神を司っているという証しである、と言ってもいいだろう。

 これまで、早川に向かって良い人がいたら紹介してくれ、と、はっきりとした口調で頼まれた男性は三人いる。いや、芸能部長の若林を入れれば四人になる。こちらから意識して話題を持ちかけたこともあった。外交辞令もあるかもしれないが、それらも含めて、早川は今までのことを整理しておく必要を感じた。関係者の会話から、思い浮かぶままにメモしてみた。理由はないが、とりあえず若林については考えないことにした。
●男性陣の希望する女性像

  • 設計事務所所長 中村純一郎(友人 三十二歳)
    • 仕事を理解してくれる女性。仕事を手伝ってくれることが出来る人だったら、もっといい。
    • 性格さえ良ければ容姿とかスタイルは二の次。顔は年を取るけど性格は年を取らない。
    • 出来れば顔は十人前だったらいい。
    • 早川の紹介する女性だったら考えてもいい。結婚後の家族同士の付き合いも大事だから。

  • ホテルマネージャー 水島正治
    (甲斐オーナーの部下 下戸 三十五歳)
    (根が真面目で実直で努力家。お人好しなところがある)
    • 人間性に魅力を感じて付き合ってくれる人でないとダメ。
    • 明るくて嘘をつかない人がいい。優しい心根の人だったらいい。
    • 健康であれば顔やスタイルはソコソコでいい。

  • 関東建設日報の新聞記者 内村克行
    (中村と懇意 下戸 三十一歳)
    (関東建設日報さんの中では一番優秀で切れ者という評判)
    (家庭的で子供が大好き。保育園か幼稚園の園長をやりたいと思った時があった)
    • 仕事を理解してくれる人。
    • 美人でスタイルのいい女性に越したことはないが、余り拘らない。それよりも、少し苦労している人がいい。
    • 何もかも親の言いなりで育ってきた人よりも、自分なりにしっかりした考えを持っている人。
    • 人間関係で多少苦い経験をしたとか、精神的に苦労をした経験のある人。
    • 人間的に良い人ならいい。贅沢は言えない。

 次のメモは先日の友誓会で、結婚する条件として相手に求めること、として三人の女性から提出されたメモである。
●女性陣の希望する男性像

  • 浅田香織
    • 今持ってる技術を発揮出来る仕事をしたい。
    • お互いに向上しあえる関係を続けられる人。
    • 結婚する事に迷いを感じない人。
    • ずーっと一緒にいたいと思える人。
    • 話し合いをとことん出来る人。
    • 心の痛みが分る人。
    • 周りの環境や人に感謝出来る心を持ち合わせた人。
    • 自分に厳しく他人にやさしい人。
    • 老後のことを二人で考えてくれる人。
    • 真面目な人。
    • 粘り強い人。
    • 感情の起伏が激しくない人。
  • 島田京子
    • ちゃんとした職業についている人。
    • 実直な人で嘘をつかない人。
    • 物事に前向きな人。
    • 私の話を真剣に良く聞いてくれる人。
    • 健康で丈夫な人。
    • お金や時間や約束にルーズでない人。
    • 何かあったときに自分を省みることの出来る人。
    • すぐ感情的にならない人。
    • マザコンじゃない人。
    • 金銭感覚が一緒の人。
    • 精神的に強い人。
  • 田部井千鶴
    • 自分の意見をちゃんと持っている人。
    • 優しくて思いやりのある人。
    • 品行方正な人。
    • ちゃんとした意見交換が出来る人。
    • 我がままじゃない人。
    • 自己管理がちゃんと出来る人。
    • 見栄を張らない人。
    • 他人にも胸をはって紹介出来る人。
    • お互いの家族にも認められる人。

 早川は、フィーリングというあいまいな感覚ではなく、お互いの気持がしっくりくるカップルは、どういう組合せだろうと真剣に考えた。男性陣も女性陣も、良く知っている人物ばかりである。それだけに、より理性的により冷静になって判断しなければならない。
 メモした内容をそれぞれの顔と重ねながら、何回も読み直した。判断に誤りがあっては良くない。最適なカップルを誕生させなければならない。一晩寝ては次の日に考える。これを繰り返した。とうとう一週間が過ぎてしまった。
 そして、次のようなカップルが最適だという結論に達した。メモした。

  • 中村純一郎と浅田香織のカップル
  • 水島正治と島田京子のカップル
  • 内村克行と田部井千鶴のカップル

 早川はこの組み合わせを見ながら、六名のメモに何回も目を通した。目を閉じて、イメージの中でカップルを立たせ並んでもらった。これも何回もやった。そして自分にOKのサインを出して確信した。
 さて、ここまではOKだが、実際にカップル誕生となる為には、ことを具体的にどう進めて行けばいいのかさっぱり要領を得ない。自分を含めた三人で、飲食しながらお互いを紹介することも一つの方法ではある。だが、つまらないし面白くない。かといって、いい案が浮かばない。

 社宅にある早川の受信メールに、中村、内村、水島のそれぞれの顔写真が添付ファイルで届いた。早川にある考えが浮かんだ。善は急げである。来週の月曜日から行動開始としよう。
 早川は月曜日の朝考えがあって浅田にコーヒーを所望した。浅田が飛んできた。小さな声で囁いた。
「電話するから」
 浅田はまた飛んで席に戻った。それを確認して早川は受話器を取った。
「あのさ、今日の昼、友誓会でランチしないか?」
「えっ、ほんと? 何か話があるの?」
「ちょっと相談したいことがあって、水曜日でもいいと思ったけど、早いほうがいいと思って」
「ランチする場所は、みんなに見られない所がいいですね?」
「だな、近くにそんな所あるかい?」
「三人の秘密の場所があるの、後で地図を持っていきます」
「そっか、それはありがたい。頼む」
 暫らくして浅田が地図を持ってきた。
「十二時少し過ぎに此処に行くから、先に行っといてくれるか?」
「はい」
 浅田が指定したランチの場所は、代々木寄りの目立たないビルの地下にあった。
「へェー、こんな場所があったんだ。いい場所だね」
 三人は既に席に座っていた。
「でしょう? ここには誰も来ないから大丈夫よ」
「みんなと食事しているところを、他の人に見られても別にいいんだけど、くだらない話が出ても嫌だからな」
「そうですね、下種の勘繰りって言葉もありますからね」
 島田が早川の顔を見て言った。
「それほど悪く言ってもなんだけど、ま、気をつけるに越したことはないよな」
「ランチでいいですか?」
「いいよ。今日は何なの?」
「チキン南蛮ではありません」
「あはは、がっくり」
「ふふ、カツ定食です。味噌汁付ですよ。食後のコーヒーも付いています」
「オォー、ありがたいな」
 久しぶりの顔合わせで、みんなニコニコ顔だった。
「田部井君はもう落ち着いたかな?」
 早川は、おしぼりで手を拭きながら田部井を見た。
「ええ、お陰様ですっかり落ち着きました。変に幸せ感があります」
「ほォー、いいね。良かったね。俺も安心したよ」
「ありがとうございました。……お仕事は順調に行っているのですか?」
「それは浅田君が答えてくれると思うよ」
 早川が浅田を向いた。浅田は急に振られて少し慌てた。
「エヘン、極めて順調そのものです。リーダーのタクト振りが早くなってきました。私も充実しています」
「フフ、威張ってる。今の作業が終わったらどうなるの? また元に戻るの?」
 島田が中に入ってきた。浅田が詰まってしまった。
「えっ、作業が終わったら? ……私が分る訳ないでしょう?」
 浅田が早川に救いを求めた。
「人事のやることだから俺にも分らない。おそらく、元に戻るんじゃないかな」
「じゃあ、香織と早川さんはまた一課に戻ってくる訳ですね?」
「多分な。でも、今の段階でははっきりしたことは分らない」
「来年の四月ですよね?」
「そうだな作業は四月末で終了だからな」
 ふと、浅田が真面目な顔で早川に聞いてきた。
「設計二課の課長席が空席のままですよね? 早川さんが後任の課長になるとかないのですか?」
「あはは、バカなこと言うなよ。俺がなれる訳ないだろ? こんな若造が」
「いーえ、年齢は関係ないと思います。その線も大いにあり得ると思います」
「いや、ないね。何でも、工務課から来るという話もチラッと聞いたけどな」
「あ、そうなんだ、がっかりね」
 田部井がいかにも残念そうな顔をした。
「それこそ下種の勘繰りだぜ。良くないよそんな話は」
「そう言われればそうですね」
 テーブルにランチが並べられた。食べながら雑談に花が咲いた。食事が済み、頃合いをみて早川が切り出した。
「ちょっと、相談があるんだけど聞いてくれるかな?」
「何でしょうか?」
 浅田が代表で答えた。
「えーとね、君たちの花婿の件だけど」
 三人が一斉に早川を見た。目が期待感で膨らみ輝いている。
「いい人が見つかったのですか?」
 島田の声が弾んでいる。
「そうだね、君たちに紹介出来る素敵な男性がいるんだけど、困ったことがあるんだよ」
「えっ、困ったことって何ですか?」
「どんな方法で君たちを先方に紹介しようかと思ってさ。俺の考えを言っておくと、俺を含めて三人で飲食して、その場でお互いを紹介する手もあると思うんだけど、つまらないと思ってるんだよ。何だか、ナンセンスなような気がしてな」
「そうですね、面白味はないですね。ありきたりだし、出来れば、お酒の席でないほうがいいような気がします。みんなどう思う?」
 浅田が真剣な顔で二人に意見を求めた。田部井が手を上げた。
「でも、そんな方法しか思いつかないわ、私」
 島田が手を上げた。
「六人で合コンは?」
 島田の提案に、早川が手を振って否定した。島田に向かって言った。
「いや、それはまずい。俺は君たちも知ってるし、男性陣も良く知っている人達なんだよな」
「ええ」
「つまり、両方の人間性とか物の考え方を良く理解しているつもりなんだよな。それぞれの個性があって人生観も違う」
「それは、そうですね」
「俺が一番重要視したのは、それぞれのカップルが、生涯幸せで喜んで貰える人生でないと、意味がないというか、紹介する価値がないと思っているんだよな」
「そうなれば最高ですね。そこまで考えて下さる早川さんて大好きです」
「コラッ、どさくさに紛れて変なこと言わないのっ」
 浅田が島田に噛みついてきた。
「だって、ほんとの気持だもん。友情の気持」
「それなら許す」
「あはは、だから六人の合コンはダメ。で、ここが肝心なんだけど、俺が考えに考え抜いたカップルが出来ているんだよ。この組み合わせなら、きっと幸せになれると確信しているカップルなんだよ」
「ええェー、ほんとですか? 嬉しい、ね、ね、早川さん早く教えてください」
 島田が早川の方に顔を突き出した。
「まあまあ、ほら、コーヒーでも飲んで、落ち着いて落ち着いて」
「はい」
「そこまでは良かったんだけど、さっきも言ったように、単なる飲食とかじゃつまらないから、何かいい案はないかなって思ってさ。……どう思う?」
「親が進める見合いだと、家で堅苦しい顔合わせがあるけど、あんなの嫌ね。……うーーん、意外と思いつかないものですね」
「だろう? 実はね、男性陣も、俺が君達を紹介することは承知しているんだよな。ある人なんかは、お前が紹介してくれるんだったら、とまで言ってくれてるんだよ。だけど、難しんだよなあ、どうやってお互いを引合せたらいいのか」
 浅田が手を上げた。
「でも、早川さんのことだから、何か案はお持ちなんでしょう?」
「うん。ある案が浮かんではいるんだけど、当事者の君たちの意見を尊重しようと思って、何かないかなと思ってさ」
「どんな案なんですか? 今考えている案というのは」
「それを言ってしまったら、その案に惑わされて、君たちからいい案なんかでないだろ? それじゃ意味ないじゃん」
「でも、思い浮かびません。ちーちゃんと京ちゃんはどう思う? ……何か案ある?」
「ううん、ないわ」
 二人ともギブアップした。
「そうか、ったくもう情けない奴ばっかりだな。もしかしたら、真剣に考えてないのじゃないのか?」
 早川の言葉に浅田が慌てた。
「いえ、決してそういうことはありません。とても楽しみにしているのです。ただ、急に言われたものですから、すぐには思いつかないのです」
「それもそうだな、じゃあ、またの機会に聞くとしようか? 今度はいつになるか分らないけどな。それとも、全部俺に任せるか?」
 早川はわざと意地悪をした。この言葉にまた浅田が慌てた。
「ねえねえ、どうしよう、この際、私の身体を全部早川さんに上げようと思うの。京ちゃんはどうなの?」
「えっ、それ違うんじゃない? 身体上げるんじゃなくて、任せるってことじゃないの?」
「ふふ、半分本気が入ってしまった」
「コラッ、さっきを私を叱ったくせに。もう何よ呆れた」
「で、どうなの?」
「はい。京子も、すみません。右ならえです」
「身体あげちゃうの?」
「はい。そうします。ちーちゃんは?」
「もち上げちゃう。……好きなようにしてください」
「ちーちゃんまで言うことに事欠いて、もう」
「あはは、嫁入り前の三人の身体を貰ってどうするのさ。とても自信がありません。勘弁してください」
「早川さん、お願い」
 島田が演技し出した。
「また始まった。アカデミー賞だ」
 田部井が呆れた顔になった。
「うん? 何だ?」
「これは、幹事の香織が代表して言わなければならないと思いますが、幹事は今、良からぬことを考えているようで、まともじゃありませんから私からお願いします。お聞きなように、三人のことは、全てお任せしますからよろしくお願いいたします」
「おや、とてもまともだわね。さすがだね。良からぬこととは気に入らないけど、ま、許すか」
 浅田がにっこり笑って指で丸を作った。
「お、そうか、思ってもいない展開になってきたな。……分った。じゃあ、今俺が考えていることを言うから、それについて意見して貰おうかな?」
「はい」
「あれっ、……もう時間が無くなってしまったな。どうするかな?」
 早川は腕時計を見て、コーヒーを口にしながら三人を見た。
「今夜は早川さんのご都合は? もし良かったら、今から例の場所に予約入れますけど」
「そうだな。最近ちょっと疲れ気味だから、十八時ごろからにしようか、いいかな? ちょっと早いけどみんな仕事終われるかな?」
「十八時から、いい? 何とかなるわよね?」
 浅田が田部井と島田に聞いた。二人は頷いた。
「じゃあそういうことで、……ちょっと待ってね」
 浅田は携帯を出して電話した。十八時から二十時までの二時間を予約したかったが、二十時からは予約が詰まっていた。
「じゃあ、今夜友誓会を開きます。十八時から十九時半まで例の場所に集合。……いいですか?」
 OKマークが出た。
「会合まで多少時間があるから、俺に任せる前に一応考えといてな。君たち自身のことなんだぞ、しっかりしろよな」
 早川が檄を飛ばして店を出た。

 友誓会が開かれた。食事を済ませ、昼からの続きが始まった。早川が口を開いた。
「考えてくれたかな? どういう方法で二人が会うかということだよ。分ってるよな。……俺の案を言う前に考えがあれば聞くけど。……じゃあ、まず幹事の浅田君、君から行こうか? 何かいい案浮かんだ?」
「あれから、いろいろ考えたのですが、いい案が浮かびません。やはり、喫茶店とかレストランで、一緒に食事をすることぐらいしか思い浮かばないのです。発想が貧困ですね」
「田部井君は?」
「ええ、この前から早川さんが、携帯を新しく買い換えろとか、メルアドをどうだとかいろいろありましたよね」
 早川はおやっと思った。
「そうだったな」
「それにヒントを得て、具体的には思い浮かばないのですが、パソコンとか携帯を使う方法もアリかなと思ったのですが」
「島田君は?」
「駅の貸ロッカーを利用する案を考えました」
「ほー、面白そうだね。……どういう方法?」
「ええ、隣同士の貸ロッカーを借りて、その中にそれぞれの顔写真を入れて、共通の待ち合わせ場所と時間を書いたメモを置いておきます。写真とメモ書きは、一緒に封筒の中に入れておきます。封筒の表には、恋のキューピットよりとか何とか書いておきます」
 浅田も田部井も身を乗り出してきた。
「ほー、ちょっと興味あるね、続けて」
「ここからが少し問題なのですけど、早川さんにその役をしていただくことになるのですが、厚かましいですね」
「いや、俺は一向に構わないよ。つまり、俺が二人から顔写真を預かって、それぞれ別々にロッカーに入れて、その中に、共通の待ち合わせ場所と時間が書かれたメモも入れておくということだな?」
「はい。さすがです。その通りです。ここからが面白いのですが、早川さんは、二つのロッカーのカギを持っていますよね」
「そういうことになるな」
「そのカギを、相手に渡すのです」
「なるほど、つまりこうだな? 例えば、島田君だったら、島田君の顔写真が入っているロッカーのカギを相手に渡す。相手の男性の顔写真が入っているロッカーのカギを島田君に渡す。お互いのことは一切話さない。ただ鍵を渡すだけ。だろ?」
「はい。そうです」
「おーー、なかなか面白いね。いいねえー。……だけど、時間のずれが生じるとまずいね」
「そうなんです、で、これからが面白いのです」
 三人は俄然興味を持った。浅田の顔に書いてあった、京ちゃんなかなか考えたじゃないか。
「ほーー、何だろうね」
「早川さんがカギを渡す時、時間を指定するのです。予め時間的な余裕がないといけませんが、何時何分きっかりにロッカーの鍵を開けなかったら、この話はなかったことにする、とか何とか言うのです」
「うんうん、なるほど」
「ということは、二人が同時にロッカーの前に立つことになる訳です。隣り合わせのロッカーですから、こちらは、相手がそういう目的で来ていることは分っている訳ですので、姿恰好をじっくり見れますし、相手も意識にはなくても、一応顔は見れますよね。ロッカーの中から封筒を取り出します。そして、多分その場で、封筒の中から写真とメモ書きを取り出すと思います。ほんとは、目の前にいる人の写真が入っている訳ですので、タイミングによってはその場で……、ということも考えられますが、こういう場合、男性は不思議と意識が外にあると思うのです。なぜかといいますと、写真はチラッとだけ見て、メモ書きの待ち合わせ場所と時間に頭が集中してしまうからです。女性の方も、そこで明らかになってはつまらないですから、知らぬふりして、指定された時間に指定された場所に行きます。写真を見ながら相手を探す。探し当てて、あれっ、何処かで見たような顔だとなります」
「わーー、面白い、最高。その案いい。いいわ。それでいきましょう」
 浅田と田部井が大喝采した。良くぞ思い付いたという顔である。
「とても面白いいい案だね。仕掛けはどっちみち後で分る訳だけど、何処かで見た顔だからということで、初対面だけど、お互いにぐ っと親しみがわくという訳だ」
「そうなんです。ですから、緊張感がほぐれて上手くいく、……こんな感じです。……良くないかなあ」
「いやいや、素晴らしい考えだよ。……なっ?」
 早川は浅田と田部井の顔を見て言った。二人とも頷いた。
「島田君、この案はどこから生み出したの? 似たような経験をしたとか」
「そうなんです、随分前なんですけど、新宿駅のロッカーに荷物を入れる時に、偶然、隣のロッカーに荷物を入れている男性がいたんです。かなりの年輩の方でした」
「そうなんだ、それで?」
「何気なくお互いが顔を見合わせたんです。そして、私は喉が渇いたものですから、構内の喫茶店に入ったのです。そしたら、遠くで私に手を振っている人がいたのです。さっきのロッカーで顔を見合わせた年配の方でした。私は軽く会釈しました。ただそれだけのことなのですが、それを思い出したのです」
「なるほどね。良くあるのかもしれないね、そんなこと」
「そうですね」
 その時、浅田が手を上げた。
「今二人だけのお話でしたけど、これを六人同時にやったらどうなりますか?」
「六人が一斉にロッカーの前に立つ訳? 横一列に男女と変わりばんこに?」
「ええ、そうです。そしてお互いの顔を見る」
「そして、六人同時に喫茶店に行って相手を探す訳?」
「ええ、想像しただけでも面白そう。相手が決まった六人の合コンでしょう? ユニークで楽しそう」
「俺はあんまりロッカーを利用したことないけど、どうなの? 横一列に六個のロッカーを借りられるもんなの?」
「それはまず無理ですね。空いてるロッカーを探すのに必死なくらいですよ。意外と混んでいますよ、駅のロッカーって」
 島田が答えた。
「そうなんだ。じゃあ、今の考えは浅田君、残念だけど却下だね」
「ですね。やっぱ私は発想が貧困だ」
「駅のロッカーってどのくらい借りられるの?」
「確か二日間くらいは大丈夫だと思います。期限が切れたら、管理者が鍵を開けて、きちんと保管されるようですよ」
「なるほどね。じゃあ、その件はいい訳だ。問題が一つあるね」
「問題ですか?」
「うん。この案の最大のポイントは、二人が同時にロッカーの前に立つことだよな」
「そうですね」
「そうなると、相手が、指定した時間に、そのロッカーの所まで行けるかどうかだね。何しろ超忙しい人ばかりだから、確実に行けるかどうかが問題だな」
「なるほど、そうですよね」
「土・日だったら意外といいかもしれないね。俺が走り回りさえすればいいことだから、それはいいとして、仕事を抱えている相手のことだから、土・日も走り回っている可能性もあるし、いまいち確実性がないなあ。それに、わざわざ駅の構内まで足を運ばしては、申し訳ないような気がするよなあ。ま、そんなことを気にするような人達ではないけど、それでもちょっとな、気が引けるね」
「そうですねぇー、そう言われればそうですね。それに、早川さんが短時間にあちこち走り回らなければならない訳ですから、それもまずいですね」
「勤務時間中に私的な用事で時間を使う訳にはいかないから、退社後か土・日に絞られるね」
「そうですね。この案はやっぱり無理ですね。没ですね」
 島田が残念そうな顔をした。浅田も田部井も、いい案だと思うけどなあという顔をしていた。
「いや、とてもいい案だから、とりあえず保留しておこう。俺がこれから話す案と比較して、どちらかいい案を採用しよう」
「早川さんの案を聞かせてください」
 浅田が言った。

「えーとね、じゃあ、これから俺の考えを言います。メモの必要があるかもしれないから、手帳かノートを出しといたほうがいいかもしれないな」
 三人がバッグから手帳を出してテーブルに置いた。
「その前に、大事なことを話しておきます」
 三人が早川の口元を見た。
「まず、これはゲームではないってことです。ここの三人と、君たちに紹介する男性を含めると計六名の人生が掛っています。……分るよな?」
 三人が頷いた。
「つまり、一生の問題が横たわっているということです。決して興味本位に考えてはいけないことです。……そうだよな?」
「はい。そうです」
 三人が異口同音に答えた。
「そこで、俺は君たちに紹介する男性の各人に、次のように話してあります。
 『ご紹介する女性のことなのですが、将来にわたって女性の立場を損なわない、つまり意思決定がなされるまでは明るく健全なお付き合いをして、心身にわたり女性を傷つけないという約束をして欲しいのです。同じ職場の女性ですから、出来ましたら、ご紹介する私の立場も考えて欲しいのですが』とね。そしてちゃんと約束して貰いました」
「……」
「君たちに紹介する男性は、それぞれ社会的に地位のある方ばかりだし、何よりも、人間的にとても魅力のある人たちばかりです。だから、いま言ったような約束を要求するなんて、誠に失礼なこととは思いながらも、念には念をという思いが俺にはあったんだよな。一応約束は取り付けているから、その辺は安心していいと思う」
「……」
「俺の考えは、これを引き受けた時から、君たちは絶対に幸せになって欲しい、その為には、素晴らしい伴侶を得るべきだと考えてきました。君たちのことはもちろん、相手の男性のことも知人とはいえ、改めてじっくりと、特に人間性についてふさわしい人物かどうかを考えてきた」
「……」
「そして、考えに考えて、ある結論に達した。これをこれから言う訳だけど、まず、いま話したことが前提にある、ということを良く考えて欲しいのだ」
「……」
「浅田君、俺の言ったこと分るだろ?」
「はい。とっても良く分りますし、そこまで考えていただいているのかと、涙が出るくらいに嬉しいです」
「田部井君はどうかな?」
「同じです。ありがとうございます。何だか緊張してきました」
「島田君はどうかな?」
「私は、イケメンだとか職業で判断して失敗している人間ですので、今のお話はとても感動して聞きました。改めて全てお任せしたいと思います」
 三人とも、早川が、これほどまで深く考えていてくれたとは、思っていなかったようである。
「これから、君たちをどのような方法で男性に引き合わせたら良いのか、ということについて俺なりの考えを言います。さっきの島田君の案もとても良かったが、俺の案は、どちらかというと田部井君の案に近いな」
 浅田と島田が田部井を見てにっこり笑った。
「パソコンとか携帯を使う案ですね?」
「そうだな。但し、携帯は使わない。その手順について、口で言うと理解し難いところもあるかもしれないから、今からメモ書きを渡すから、それを見て分らない所を質問してくれ」
 早川は、あらかじめ用意していた、メモ書きのコピーを三人に渡した。メモ書きは以下のように書いてあった。

  1. 早川から相手男性へのメール送信
    • 各人ごとにご挨拶文の作成(三通)→ 早川に一任
    • 約束事の再確認(文書として残しておく)
    • 上記を承諾した場合のみ、了解した旨を記して返信して貰う
  2. 返信してくれた相手に二回目のメールを送信する
    • ○△X回答のお願い文書
    • 結婚する条件として相手に求めること、の○△X回答要求
    • 上記条件を出した該当者(女性)に確認する
  3. 付き合っても良いかどうかの確認を取る
  4. OKの場合のみ、三回目のメールを送信する
    • 相手にメルアドと顔写真を送る
  5. 相手は数日以内に該当する女性にメールする
  6. 交際開始(早川は依頼があった時のみ同席)

 三人はじっくりとメモ書きを見た。
「約束事の確認というのは、先ほどおっしゃっていたことですね?」
 浅田が尋ねてきた。
「そうだ。とても大事なことだよな」
「はい。ですね」
「結婚する条件として相手に求めることっていうのは、この前の友誓会で私たちが提出したものですね?」
「そうです。ご紹介する女性は、あなたに対してこういう要求をしていますが、お受けできますか? という意味が込められています」
「凄い。普通こんなのないでしょ? ……受け入れられない項目が一つでもあったら、お付き合いは始まらないってことですか?」
「いや、全部が全部受け入れるっていうのは、まずあり得ないような気がするんだよ。だから、後は君たちが見て判断すればいいのじゃない? これは×でも良いとか、やっぱり悪いとか」
「はい。分りました。なんだかワクワクしてきました」
 田部井が手を上げた。
「早川は依頼があった時のみ同席とありますが、依頼しなければ同席して貰えないのですか?」
「そうだよ。お互いの交際が開始されたら、俺の役目は終わりだね。そこまで行ったら、俺はもう邪魔者の何物でもないからな」
「でも、少し不安ですね」
「何言ってるんだよ。君たちは大人だろ? 紳士からメールが来たら、自分のありのままを出して、お付き合いすることだね。俺は出来れば遠慮したいな。せいぜい、お付き合いがどうなってるかぐらいは、たまには聞くかもしれないけどな」
 島田が手を上げた。
「もう、友誓会も開かれないのですか?」
「それは君たちの気持一つだよ。開きたければ開けばいいし、俺はいつでも付き合うよ。もっとも、おのろけ話ばっかりだったら、お腹が満腹になって身動き出来なくなるかも知れないから、程々にして欲しいけどな」
「ふふふ、そうなるといいなあ」
「付き合い出したら、友誓会なんて考えなくなると思うよ。いやむしろ、そのくらいになって欲しいよね。少し淋しいけどな」
 早川が一瞬淋しそうな顔をした。浅田がそれを見て言った。
「早川さんのお蔭で全てが上手くいった訳ですので、定期的に友誓会は開いたほうがいいと思います」
 田部井も島田も同意して、首を大きく縦に振り頷いた。
「上手くいくかどうかは、まだ結論は出ていないんだよ。これからだよ。相手が断ってくることもあり得るからな」
「あ、そうか、そうですね。大丈夫かしら」
 島田が真剣な顔をして心配した。
「それは、分らない。まず、君たちに相手から直接メールが来るかどうかが第一関門だな」
「ですね」
「メールが来るということは、既に顔写真は確認している訳だから、一応気に入って貰ったということだよな。しかし、たとえメールが来ても七十%クリアしたとしか言えない。後の三十%は、メールのやり取りを何回かして、そして、実際に会ってみて、お互いがしっくりくればいいけど、そうならない場合もある訳だから、その場合は交際は没だね」
「なるほど、そういうこともある訳ね」
「いずれにしても、このやり方は、君たちに主導権があるんだよ、……分るだろ?」
「そうですね」
「ほかに質問はないかな? 納得したかな?」
 三人は頷いた。
「この俺の案と島田君の案とどちらがいいかな? 俺はどちらでもいいよ、主人公は君たちだからな」
 三人がひそひそ話しだした。暫らくして、浅田が代表して手を上げた。
「早川さんの案に決定しました。よろしくお願いいたします」
「そうなの? 島田君の案も捨てがたいよねぇー。何かに応用できないかなあ。それとも1組だけやってみるとか」
「いえ、やはり早川さんの案の方が、理詰めで間違いがないような気がします。よろしくお願いいたします」
 三人が早川に向かって深々と頭を下げた。
「そうか、分った。ありがとう。……じゃあ、この案で進めます。……三組のカップルが、楽しいクリスマスを迎えられたら最高の喜びだね」
 早川の思いがけない言葉に、三人は身近な現実として、はっきりとイメージを膨らませることが出来た。浅田は、この早川という男は、何もかも計算の上に事を成就させようとする、並はずれた能力の持ち主だと改めて驚いた。

「君たちからは、相手のことの質問が出なかったから俺から質問するけど、君たちにメールが届いたとして、その人が本人かどうかどうやって確認するのかな?」
 三人はびっくりした。頭が天に昇って肝心なことを見落としている。三人は改めて早川の緻密さを知った。
「そうですね、どこの馬の骨か分らない人のメールを開いたりして」
「あはは、それはないと思うけど、せめて名前だけでも知りたいとは思わないの? 場合によっては将来の伴侶になる人だよ。君たちの名字が変わるかもしれないんだよ。興味ないの?」
 三人は顔を見合わせた。苗字が変わる? ……ほんとだ。現実はこうなるんだ。……何を考えているんだ。
「早川さんて凄い人ですね、またまた惚れ直しました」
 田部井が感心していた。
「俺が凄いんじゃないよ。君たちが甘いってことだよ。もう少し、社会的勉強をしたほうが良さそうだな。紹介して大丈夫かなあ。心配になってきたよ。もう少し、そうだなあ、五年くらい後にするかなあ」
 早川がとぼけて、天井を見上げながら言った。
「その頃は婆さんになってしまって、何処にもお嫁に行けなくなります。今お願いします」
「じゃあ、メールが来た時、惑わないようにしっかり対応が出来るように、これから、それぞれの相手の名前を言うから、手帳に書き留めてください」
 いよいよ来た、とばかりに三人は手帳を開き、早川の口元を見据えた。
「えーとね、まず、島田君からいこうか?」
 島田が緊張した。顔は喜んでいる。
「あ、はい。お願いします」
「黒板に書くからな。島田君の交際相手は水島正治という人です」
 早川は黒板に名前を書いた。
「この名前の人からメールが届いたら、君の将来の伴侶になる人だと思って、しっかり対応してください。……いいですね?」
「……」
「おいおい、どうした。嬉しくないのか?」
「い、いえ、今ここで泣いてもいいですか? ……」
「えっ、どうしたんだよ急に、君らしくもない」
「京子は、ほんとは泣き虫なんです」
 浅田が、島田にハンカチを渡しながら助け舟を出した。
「まだ泣くのは早いような気がするけどなあ、……ま、いいや思い切り泣きなさい。……じゃあ、次は田部井君いこうか?」
「はい。お願します」
「田部井君は、この前ああいうことがあったから、言いにくいんだけど、もう心はすっきりしているんだよな」
「はい。大丈夫です。実際には、八か月も前から交際は疎遠になっていましたから、その点は心配しなくてもいいかと思います」
「そのことを言っているんじゃないんだよ、それはもうとっくに卒業している筈だからな。そうじゃなくて、明日からでも始まる新たな人生の心構えが、ちゃんと出来ているかということを聞いているんだよ。精神的なことだよ」
「はい。大丈夫です。早川さんのお蔭で、千鶴はとても強い女になりました」
「あはは、まるで俺は柔道の指南役みたいだな。……じゃあ、黒板に書くよ。千鶴の……、おっと違った。田部井君の……」
「早川さんお願い、千鶴と呼んでください」
「あはは、ごめん、間違えちゃった。君が千鶴は強い女になりましたなんて言うから、つい、つられて言ったんだよ。……それは伴侶に言いなさい」
「冷たい人」
「そうだ、みんなの苗字は、今から呼び捨てにするかな、その方が親しみが出るよな。……いいかな?」
 三人は手を叩いて頷いた。
「あはは、もう脱線ばっかりだよ。……えーと、じゃあ、と、……田部井の交際相手は、……内村克行という人です」
 早川は黒板に名前を書いた。
「この名前の人からメールが届いたら、君の将来の伴侶になる人だと思って、しっかり対応してください。……よろしいですか?」
「はい。ありがとうございます。しっかり頑張ります」
 島田はまだハンカチを目に当てていた。
「コラッ、島田ッ、しっかりせ-よ。それじゃ先が思いやられるぞ」
「はい。すみません」
 島田が小さく言って頷いた。
「最後に浅田君だ」
 浅田がにっこり笑った。笑顔が似合う女性である。
「おや、今日はまた一段と笑顔が素敵だね」
「この日の為に、昨夜から作り上げた笑顔です」
「あはは、いいね、いいね。……じゃあ、書くよ」
「はい。お願いします」
「浅田の交際相手は、中村純一郎という人です」
 早川は黒板に名前を書いた。
「この名前の人からメールが届いたら、君の将来の伴侶になる人だと思って、しっかり対応してください。……いいですね?」
「はい。分りました。……中村香織……、あら、いい響きだわ」
「あはは、バーカまだ早い。メールが来て、はっきりしてから考えろ」
 早川は呆れた口調で浅田に言った。
「ほんとだわ、ったくもう、……内村千鶴、……あ、これいいかも」
 田部井が乗ってきた。
「水島京子、ウァー、いい名前。気に入ったわ」
 島田が泣くのを止めて早川を見た。
「あはは、漫才が始まった。……じゃあ、みんな書き留めたな。消すぞ」
「あのー、どんな仕事をされているのか、……聞いてはまずいですか?」
 浅田が、黒板の字を消している早川の背中に聞いた。
「そうだな、職業を言うことで島田が体験したように、変な先入観があっても良くないと思っていたんだが、どうするかな聞きたいかい?」
「ええ、出来ましたら聞いておきたいです。京子の時と少し事情が違うような気がするんです。……ねえ、京子?」
「そうよね、次元が違うわね。私もお聞きしたい」
 島田が田部井を見た。田部井も頷いた。
「そうだな、どうせ分ることだからな。事前に知っていて悪くはないだろうな。……じゃあ、一人ずつ言うからメモしてな。……えーと、そうだな、ついでに、紹介する理由も付け加えて言うからな」
 三人はメモの態勢をとった。
「今度は、浅田からいこうかな、浅田の相手の中村という人の職業は、設計事務所の所長です」
 一瞬驚きの雰囲気になった。浅田の顔が紅潮してきた。
「この人は、私の大学時代の同級生です。ですから三十二歳です。所員が二十名ほどの、少しばかり有名な設計事務所です。浅田が望んでいた、自分の技術を発揮出来る環境にあるのではと思って紹介することにしました」
「香織、凄いじゃない良かったね」
 田部井が浅田の顔を見て言った。浅田が突然泣き出した。
「おいおい、今度は浅田かよ。それくらいのことで泣くなよ。まだ決まった訳じゃないんだぞ」
「ええ、分っていますけど、早川さんの優しさに泣けてきたのです。……ありがとう」
 浅田は、ハンカチを目に当て、泣きながら言った。田部井も島田も頷いていた。
 浅田は送別会の前夜、早川と食事を共にした時、帰り際にレストランから飛び出し、雑踏の中で泣いたことがある。早川への片思いを断ち切るための涙だった。今でも、早川に対する思いが全くないと言えば嘘になる。だが、今の早川からの言葉で、何時までも引きずるな、新しい自分に向かって歩み出すのだ、と言われているように思えてきた。自分のことを思ってくれる早川の気持に泣けてきたのである。
「次は、田部井の相手の内村という人の職業は、新聞記者です」
 これも一瞬驚きの雰囲気になった。田部井が、我が意を得たりと興奮してきた。
「この人は、浅田の相手、中村純一郎の知人です。中村が俺に紹介してくれた人物です。関東建設日報という建設新聞の、渉外担当主任をされています。関東建設日報では、一番優秀で切れ者という評判の男です。三十一歳です。眼鏡をかけていて、目がやたらと鋭く濃い髭で精悍な顔をしています。でも、心根は子供が大好きという、とっても優しい男です。田部井のメモ魔が、将来きっと役立つ筈だと思って紹介することにしました」
「ちーちゃん、良かったね。ちーちゃんは子供好きだしお似合いかも」
 島田が田部井の顔を見て言った。田部井は嬉しくてたまらないという顔をした。
「田部井は泣かないのか?」
 早川が茶化した。
「はい。私はさんざん泣いてきましたから、枯れてしまって、涙が残っていません」
「あはは、そうか。強くなったな。いいことだ」
「ありがとうございます」
「最後になってしまったけど、島田の相手の水島という人の職業は、ホテルのマネージャーです」
 浅田がまずびっくりして島田を見た。島田が信じられないという顔をした。
「この人は、会社のお客さまで浅田も知っていると思うけど、甲斐オーナーという人の部下にあたる人です」
 浅田がしきりに頷いていた。
「浅田、ほら八王子のホテル、俺たちが携わったエルコンG・ホテルのチーフだった人。憶えてるだろ?」
「ええ、ええ、真面目そうな、とっても感じのいい人よね」
「今、浅田から話があったけど、この水島という人は、俺が仕事上でお世話になっている甲斐オーナーとの関係で、以前から付き合いの深い人で、根が真面目で、実直を絵に描いたような人です。とても努力家です。お人好しなところがあって好感の持てる人です。三十五歳です。今回マネージャーに昇格されて、俺の考えでは、近い将来チーフマネージャになる人だと思います。ホテル業界では、よくレセプションなどが行われるんだが、島田の美貌と外交性がきっと活かされると思って、紹介することにしました」
「京ちゃん、凄いじゃない。いよいよだね。京ちゃんにぴったりの伴侶と思う」
 浅田がいつの間にか泣き止んでいた。島田の喜んでいる顔を見て、我がことのように嬉しがっていた。島田は、また泣き出しそうになった。

「最後に俺からお願いがあります。……みんな個人用のメルアドは持ってるよな」
 三人とも頷いた。
「これから、黒板に俺の個人用のメルアドを書くから、手帳に控えて、帰ったら俺宛に顔写真を添付して、適当な文を作ってもいいし、テストとだけ書いてもいいから、とにかくメールを送信してください。顔写真のない人は、用意が出来た時点でも構いません」
「メールに添付出来るような写真ってあったかしら」
 田部井が心配そうな顔をした。
「デジカメで撮った顔写真で、メールに添付出来るようだったらそれでもいいが、添付できない写真、つまりデジカメじゃなく、写真館で撮った写真とか普通のカメラで撮った写真にしたい場合は、それでもいいが、スキャナーなどがなくて、画像として取り込めない場合は、俺の所に持って来てくれたら、メール添付用の画像を作ってあげるよ」
「写真は、どんなのがいいのかしら」
 島田が聞いてきた。
「写真は、相手に強烈な印象を与えてしまうから、慎重に考えたほうがいいと思う。敢えて言うまでもないとは思うが、良く見せようとして、修正した写真は絶対駄目だからな。見識を疑われてしまう。また、ピントがぼけているような写真も駄目だな」
「写真館に行って撮ってもらったほうがいいでしょうね」
「いや、改めて写真館に行って、見合い用の写真を撮る必要はないと思うが、これと思う写真がない場合は、そうせざるを得ないかもな」
「写真はスナップ写真でもいいですか?」
「いいとは思うが、くれぐれも、他の人と一緒に移ってる写真だけは添付しないように。送ってくれた顔写真は、最終的には相手に送る写真だから、その辺は良く考えて、自分が気に入ったものよりも、相手の立場になって考えて、相手が気に入ってくれそうな、好印象を持ってくれそうな写真を添付してください。折り返し、俺の方から相手の男性の顔写真を添付して送信します」
 浅田が手を上げた。
「写真は、すぐにでも送信したほうがいいですね」
「だね。出来るだけ早いほうがいいように思うけどな」
 熱心にメモしている三人に早川が聞いた。
「他に質問はないかな? ……疑問点を残しちゃいけないよ。手順に従ってゴールを目指す、とっても大事なことをやろうとしている訳だからな」
 浅田が手を上げた。
「私たちの写真などの準備ができ次第、手順が動き出すと思っていい訳ですね?」
「そうだな。既に男性からの顔写真は俺の方に届いているから、君たちに返信出来る状態になったら、すぐにでも送信しようと思っています」
 三人が黙ってしまった。現実が迫って来てると思うと、少し緊張感が漂い始めた。
「いざとなると変に緊張しますね。ああ、どうしよう」
 島田が真面目な顔で早川を見た。
「おいおい、どうしようはないだろう? ……それとも、独身におさらばするのが惜しくなってきたのかな?」
「いえ、それはないのですが、なんだかドキドキしてきて、……こんなの初めて」
「あはは、当たり前だよ。みんな初めての経験だし、こんなこと何回もは出来ないよ。一回こっきりの大勝負だよ。心してかからないと、一つもカップルが出来なかったなんて、ぶざまなことにもなりかねないよ。……ガンバレ」
 早川は、三組のカップル誕生には絶対の自信をもっていた。カップルの生涯を見据えた、―しっくり行く関係― について緻密な考察をし、相手の心の、より深い部分に寄り添った形での答えを見出したつもりである。
「はい。頑張ります」
 浅田が代表して言った。
「それと、これも念頭に入れておいたほうがいいと思う。どういうことかというと、めでたくお互いが認め合って、良き伴侶となり結婚ということになると、多分この男性陣の顔ぶれからすると、共働きってことにはならないような気がするんだよな。つまり、そうなったら三人とも会社を辞めなければならなくなってくるよな。……イメージ出来るかな?」
 三人はお互いの顔を見合わせた。目先のことにばかりに思いが走り、そこまでは考えが及んでいなかった。早川にしてみれば、何年も先のことを見据えた上での今日の出来事としてとらえているのである。早川は目の前の彼女たちが、一刻も早くこの現実を全心身で実感して貰わなければ困ると思っていた。
「会社を辞めることになるのですねぇー。……そうですよねぇー」
 田部井がしみじみした口調で言った。
「早川さんの顔も見られなくなるのねぇ。淋しいわァー」
 浅田が早川の顔をじっと見た。
「でも、喜びと引換の退職だから願ってもないことだわ。新しい人生の始まりよ」
 島田が前向きな発言をした。
「島田、いいことを言ってくれたね。そうなんだよ。辞める時期が早く来たと思えばいいんだよ。ルンルン気分で退職出来るなんて贅沢そのものだよ。退職した後はバラ色の人生が待ち受けているんだぜ。最高だろ? 君たちはほんとに幸せ者だよさ」
「そうなるとやっぱり友誓会は開けませんね」
「そうだな。最後の一人が退職した時点で解散だな。ま、仕方ないよ。友誓会の役目は充分に果たせたと思うからな。うん。発展的解消ってやつだな」
「将来、この四人が集まるなんてことはもうないのね」
「何言ってるんだよ、伴侶が出来た時点で、そんなことは、綺麗さっぱり忘れてしまうさ。それでいいのさ。……ま、願わくば、いつの日か、俺を含めて四組のカップルが一堂に集まって、会食なんて出来れば最高だけどな。……しかし、結婚してしまえば、なかなか思うようにいかないのが現実だからなあ」
 そこまで考えているんだ。憎たらしいねぇー、この男。浅田はチラッと見せた早川の淋しげな顔を見て、この男の為に、将来にわたり、女性三人の絆を深めて行こうと思った。
そして、いつの日か必ず、必ず、早川の思っていることを実現させるのだと強く思った。

 早川は手順①を実施した。中村純一郎宛のメール文を、次のように打ち込み送信した。

中村純一郎 様へ
 先日の忘年会はお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。久しぶりに楽しいひと時となり、心の洗濯が出来たような気がしております。さて、本日メールを差し上げましたのは、忘年会の時にも話がありましたが、かねてから貴殿からお話のありました、女性の紹介をさせていただこうと思ったからです。
 ご理解のように人を人に紹介することほど難しいものはございません。まして将来の伴侶となるであろう女性を、私の無二の親友と思っている貴殿に紹介するとなりますと、相当の覚悟を持って臨まなければなりません。
 私は、生涯を共にする伴侶は、貴殿がいつか言われていた、顔は歳を取るけど性格は歳を取らないという観点から、顔やスタイルよりも心のありよう、即ち人間性に重点を置いて考えてきました。さらに、貴殿の仕事のお手伝いが出来る女性という点も考慮しました。相当な時間をかけて、ありとあらゆる角度から、貴殿にふさわしい女性を探して参りました。
 本日ご紹介する女性は、私の勤務している会社の社員です。現在私は、国際設計コンペに応募すべく、総勢二十二名のスタッフ共々、毎日忙しい作業に追われております。ご紹介する女性は、そのスタッフの一員でインテリアコーディネーターとして活躍しています。とても優秀な技術者です。八王子のエルコンG・ホテルのインテリアは彼女がチームの責任者として采配を振るってくれました。性格が明るく、何事にも前向きな女性で、スタイルが良く美人です。私が自信をもってお勧めする、貴殿にふさわしい最良の女性だと確信しております。
 もし貴殿が前向きに考えていただけるのであれば、以下の手順で段取りを考えておりますので、手順に沿って進めていただきますよう、よろしくお願いいたします。

◆手順① 約束事の再確認

  • これは先日お話しした内容と同じです。再度ご確認ください。ご承諾いただけるようでしたら、承諾した旨の文言を書いてください。そして、そのまま返信していただければよろしいかと思います。
  • 約束事は次の通りです。
    • ご紹介させていただく女性については、将来に亘って女性の立場を損なわない、つまり意思決定される迄は、明るく健全なお付き合いをして、心身にわたり女性を傷つけるようなことは一切致しません。ここにお約束致します。

 返信していただきましたら次のステップへ進みます。

◆手順② ○△X回答のお願い文書

  • 回答していただく項目には、ご紹介する女性が、こういう人を伴侶にしたい、と強く望んでいることが書いてあります。
     項目の内容が、自分に合致しているか、考えに賛同出来るかなどの点を、正直に回答していただければいいかなと思います。
  • 何項目か簡単な○△X形式の回答をしていただき、返信してください。

 返信していただきましたら、次のステップへ進みます。

◆手順③ 女性による確認・承諾

  • 返信していただいた内容について、ご紹介する女性に確認していただきます。
  • 確認後、お付き合いしても良いということになりましたら、女性のメルアドと顔写真を送信致します。

次のステップへ進みます。

◆手順④ メール送信開始

  • 女性のメルアドと顔写真をご確認の上、女性に直接メールしてください。

次のステップへ進みます。

◆手順⑤ 交際開始

  • メールのやり取りの中で、お互いの意思疎通を図ってください。
  • これ以降はご自由に交際してください。

 面倒臭いことをするのだなあ、とお考えになるかもしれませんが、お互いに相手の立場を、充分に理解し尊重した上でのことです。ま、これは私の性格でもあるのですが、慎重には慎重に事を運びたい、という思いでこのようにさせていただきました。他意はございません。何卒ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。
 少し気が早すぎますが、貴殿にとって、今年のクリスマス・イブが人生の転機に向けての話し合いが出来るような、素敵なイベントになることを心から祈ってやみません。最後までお読みいただき、ほんとにありがとうございます。
 尚、不明な点や疑問点などございましたら、遠慮なくメールしていただきますようお願いいたします。
 失礼します。早川悟

 内村克行宛のメール文の冒頭のあいさつ部分を、次のように打ち込み送信した。多少、中村の場合の文面と似てしまうが止むを得まい。手順以下の文面は中村の場合と同じである。

内村克行 様へ
 先日の忘年会は、お疲れ様でした。久しぶりに楽しいひと時となり、心の洗濯が出来たような気がしております。特に貴殿とは、茶店では何度か打ち合わせなどをさせていただきましたが、お酒の席での飲食を、初めて共にさせていただき、とても光栄に存じます。ありがとうございました。
 さて、本日メールを差し上げましたのは、忘年会の時にも話がありましたが、かねてから貴殿からお話のありました、女性の紹介をさせていただこうと思ったからです。
 ご理解のように人を人に紹介することほど難しいものはございません。まして将来の伴侶となるであろう女性を、貴殿に紹介するとなりますと、相当の覚悟を持って臨まなければなりません。
 私は、生涯を共にする伴侶は、顔は歳を取るけど性格は歳を取らない、という観点から、顔やスタイルよりも心のありよう、即ち人間性に重点を置いて考えてきました。さらに、場合によりましては、貴殿の仕事のお手伝いが出来る女性という点も考慮しました。
 相当な時間をかけて、ありとあらゆる角度から、貴殿にふさわしい女性を探して参りました。
 本日ご紹介する女性は、私の勤務している会社の社員です。会社ではメモ魔として通っております。落ち着いた感じの人で子供好きみたいです。スタイルが良く美人です。私が自信をもってお勧めする、貴殿にふさわしい最良の女性だと確信しております。
 もし貴殿が、前向きに考えていただけるのであれば、以下の手順で段取りを考えておりますので、手順に沿って進めていただきますよう、よろしくお願いいたします。

 水島正治宛のメール文の冒頭のあいさつ部分を、次のように打ち込み送信した。これも多少、中村の場合の文面と似てしまうが止むを得まい。手順以下の文面は中村の場合と同じである。

水島正治 様へ
 先日は、お疲れ様でした。久しぶりに楽しいひと時となり、心の洗濯が出来たような気がしております。特に貴殿とは、初めて飲食を共にさせていただき、とても光栄に存じます。ありがとうございました。
 さて、本日メールを差し上げましたのは、先日の甲斐オーナーとの会食の折りに、お話がありました女性の、紹介をさせていただこうと思ったからであります。
 ご理解のように人を人に紹介することほど難しいものはございません。まして将来の伴侶となるであろう女性を、懇意にさせていただいている貴殿に紹介するとなりますと、相当の覚悟を持って臨まなければなりません。
 私は、生涯を共にする伴侶は、顔は歳を取るけど性格は歳を取らない、という観点から、顔やスタイルよりも心のありよう、即ち人間性に重点を置いて考えてきました。さらに、場合によりましては、貴殿の仕事のお手伝いが出来る女性という点も考慮しました。
 相当な時間をかけて、ありとあらゆる角度から、貴殿にふさわしい女性を探して参りました。
 本日ご紹介する女性は、私の勤務している会社の社員です。会社ではとても人気のある女性です。はきはきした外交性豊かな女性です。スタイルが良く美人です。私が自信をもってお勧めする、貴殿にふさわしい最良の女性だと確信しております。
 もし貴殿が、前向きに考えていただけるのであれば、以下の手順で段取りを考えておりますので、手順に沿って進めていただきますよう、よろしくお願いいたします。

 中村、内村、水島の三名の男性から、それぞれ手順①の返信が順次届いた。

 早川は三名に対して順次手順②を実施した。
 中村純一郎宛のメール文を、次のように打ち込み送信した。これは浅田香織が希望する伴侶の条件文である。

 中村純一郎 様へ
 メールを返信していただきありがとうございます。
 このメールは、手順②です。
 貴殿にご紹介したい女性は、以下のような人物を伴侶としたいと強く望んでいます。貴殿に合致するかどうかを、( )内に○、△、Xのいずれかでお答えください。
 お答えいただきましたら、このまま返信してください。よろしくお願いいたします。
 尚、項目に対して何かご意見等がありましたら、文末にでも書き添えていただければありがたいです。

  • 当てはまる項目、又は賛同出来る項目には○をつけてください。
  • やや当てはまる項目、又はやや賛同出来る項目には△をつけてください。
  • 当てはまらない、又は賛同出来ない項目にはXをつけてください。

( )今持ってる技術を発揮出来る仕事をしたい。
( )お互いに向上し合える関係を続けられる人。
( )結婚する事に迷いを感じない人。
( )ずーっと一緒にいたいと思える人。
( )話し合いをとことん出来る人。
( )心の痛みが分る人。
( )周りの環境や人に感謝出来る心を持ち合わせた人。
( )自分に厳しく他人にやさしい人。
( )老後のことを二人で考えてくれる人。
( )真面目な人。
( )粘り強い人。
( )感情の起伏が激しくない人。

 同様に内村宛のメール文を、それぞれ次のように打ち込み送信した。これは田部井千鶴が希望する伴侶の条件文である。

 内村克行 様へ
 メールを返信していただきありがとうございます。
 このメールは、手順②です。
 貴殿にご紹介したい女性は、以下のような人物を伴侶としたいと強く望んでいます。貴殿に合致するかどうかを、( )内に○、△、Xのいずれかでお答えください。
 お答えいただきましたら、このまま返信してください。よろしくお願いいたします。
 尚、項目に対して何かご意見等がありましたら、文末にでも書き添えていただければありがたいです。

  • 当てはまる項目、又は賛同出来る項目には○をつけてください。
  • やや当てはまる項目、又はやや賛同出来る項目には△をつけてください。
  • 当てはまらない、又は賛同出来ない項目にはXをつけてください。

( )自分の意見をちゃんと持っている人
( )優しくて思いやりのある人。
( )品行方正な人。
( )ちゃんとした意見交換が出来る人。
( )我が儘じゃない人。
( )自己管理がちゃんと出来る人。
( )見栄を張らない人。
( )他人にも胸をはって紹介出来る人。
( )お互いの家族にも認められる人。

 同様に水島宛のメール文を、それぞれ次のように打ち込み送信した。これは島田京子が希望する伴侶の条件文である。

 水島正治 様へ
 メールを返信していただきありがとうございます。
 このメールは、手順②です。
 貴殿にご紹介したい女性は、以下のような人物を伴侶としたいと強く望んでいます。貴殿に合致するかどうかを、( )内に○、△、Xのいずれかでお答えください。
 お答えいただきましたら、このまま返信してください。よろしくお願いいたします。
 尚、項目に対して何かご意見等がありましたら、文末にでも書き添えていただければありがたいです。

  • 当てはまる項目、又は賛同出来る項目には○をつけてください。
  • やや当てはまる項目、又はやや賛同出来る項目には△をつけてください。
  • 当てはまらない、又は賛同出来ない項目にはXをつけてください。

( )ちゃんとした職業についている人。
( )実直な人で嘘をつかない人。
( )物事に前向きな人。
( )私の話を真剣に良く聞いてくれる人。
( )健康で丈夫な人。
( )お金や時間や約束にルーズでない人。
( )何かあったときに自分を省みることの出来る人。
( )すぐ感情的にならない人。
( )マザコンじゃない人。
( )金銭感覚が一緒の人。
( )精神的に強い人。

 手順②に従い、中村、内村、水島の三名の男性から、それぞれ回答が順次返信されてきた。

●中村純一郎(浅田香織宛)の回答

(○)今持ってる技術を発揮出来る仕事をしたい。
(○)お互いに向上し合える関係を続けられる人。
(○)結婚する事に迷いを感じない人。
(○)ずーっと一緒にいたいと思える人。
(○)話し合いをとことん出来る人。
(○)心の痛みが分る人。
(○)周りの環境や人に感謝出来る心を持ち合わせた人。
(△1)自分に厳しく他人にやさしい人。
(△2)老後のことを二人で考えてくれる人。
(○)真面目な人。
(△3)粘り強い人。
(○)感情の起伏が激しくない人。

△印とつけた項目について

  • △1は、自分に対して厳しいかどうか、自分では分らないものですから△にしました。
  • △2は、老後のことはもう少し後に考えようと思っています。ですから△にしました。
  • △3は、自分が粘り強いかどうか、自分では分らないものですから△にしました。

●内村克行(田部井千鶴宛)の回答

(○)自分の意見をちゃんと持っている人
(○)優しくて思いやりのある人。
(○)品行方正な人。
(○)ちゃんとした意見交換が出来る人。
(△1)我が儘じゃない人。
(○)自己管理がちゃんと出来る人。
(○)見栄を張らない人。
(△2)他人にも胸をはって紹介出来る人。
(△3)お互いの家族にも認められる人。

△印とつけた項目について

  • △1は、少しばかり我が儘な面があるかもしれません。少しずつ直していきたいと思います。ご指導ください。ということで一応△にしました。
  • △2は、さあどうでしょうか、そういう人になりたいとは思っていますが、自信はありません。△にしました。
  • △3は、そうありたいとは思いますが、こればっかりは家族にお会いしてみないと、何とも答えようがありません。すみません△にしました。

●水島正治(島田京子宛)の回答

(○)ちゃんとした職業についている人。
(○)実直な人で嘘をつかない人。
(○)物事に前向きな人。
(○)私の話を真剣に良く聞いてくれる人。
(○)健康で丈夫な人。
(○)お金や時間や約束にルーズでない人。
(△1)何かあったときに自分を省みることの出来る人。
(○)すぐ感情的にならない人。
(○)マザコンじゃない人。
(△2)金銭感覚が一緒の人。
(△3)精神的に強い人。
△印とつけた項目について

  • △1は、何かあった時の何かが、いまいち想像できません。多分出来るとは思うのですが、体験していませんので△にしました。
  • △2は、金銭感覚が一緒という意味が、いまいちイメージできません。具体的な例を挙げていただければ、回答しやすいと思います。一応△にしました。
  • △3は、精神的に強いかどうか、自分では考えた事はありませんが、そうなりたいとは思っています。一応△にしました。

 早川はこれらの返信メールを浅田、田部井、島田のそれぞれに転送した。転送メールには以下の文面を添えた。

 あなたを紹介した相手の男性から回答が寄せられました。良く確認・考慮して、相手の方と、お付き合いをしてもいいかどうかを決めてください。
 とても大事な決断になりますので、慎重に判断してください。その上で、お付き合いを承諾される、されないのいずれの場合も、その旨の文言を添えてそのまま早川宛に返信してください。もし承諾されましたら、お約束通りあなたのメルアドと顔写真を、相手の男性の方に送信します。ご了承ください。
 あなたのメルアドと顔写真を相手の男性の方に送信しますと、数日以内に相手の方からメールが来る筈ですので、後は自分の責任で対応してください。よろしくお願い致します。但し、メールが届かないということもあり得ると思っておいてください。
 お付き合いが、スムースに良い方向に進むことを、心からお祈りいたします。頑張ってください。
 早川があなたの為に力になれたのかどうか、はなはだ自信はありませんが、私の出来る精一杯のことをさせていただきました。
 生涯の伴侶としてふさわしく、心身ともにしっくり行く人でした、と、いつの日か言われたい思いで、あなたの伴侶を探しました。必ずしも百%ではないかもしれませんが、人間の素晴らしいところは、不足している部分、満たされていない部分は、努力でカバーすることが出来る能力を持ち合わせていることだと思っています。
 実際に会ってみて、思っていたことと違うとか、フィーリングが合いそうもないとか、いろいろ出て来るかもしれません。そういう場合は、無理をせず、はっきりと意思表示をするべきだと思います。軽はずみに、単なる印象だけで判断するのはどうかと思います。時間を掛けて、とことん話し合っていただければ、きっと本物が見えてくる筈です。心が広くて理解力のある、人間性豊かな男性をご紹介したつもりですから。
 尚、返信文には、あなたの素直な気持ちを、感想文にして書き添えていただくと、とても嬉しく思います。

 早川に浅田、田部井、島田の三名から、それぞれ順次メールが届いた。紹介した男性と付き合っても良いかどうかの、回答と感想文である。

●浅田香織の回答と感想文

 中村純一郎さんとのお付き合いを、喜んで承諾いたします。
感想文
 私は今泣いています。訳は聞かないでください。
 ただ、ただ……ほんとに、ほんとに、ありがとうございました。

 早川には、短い感想文の中に、浅田の切々とした万感の思いが込められているように思えた。

●田部井千鶴の回答と感想文

 内村さんとのお付き合いを承諾いたします。
感想文
 まずは、ほんとにありがとうございました。と申し上げたいと思います。私の悩みを解決していただいた上に、素晴らしい男性をご紹介いただき、今、私は天にも昇る心地です。
 お忙しい中を、私たち三人のことを親身になって考えていただき、ほんとに頭が下がる思いです。このご恩に報いる為にも、内村克行さんとのお付き合いが上手く行き、生涯を共に生きて行けるような関係になるよう、必死に頑張りたいと思っています。早川さんに、笑顔で良い結果をご報告出来ればと思っています。
 ほんとにありがとうございました。

 早川は、田部井のことから始まった三人組との縁が、このような形になろうとはとても想像していなかった。それだけに、田部井の気持が痛いほど良く分る。
●島田京子の回答と感想文

 水島正治さんとのお付き合いをさせてください。お願い致します。
感想文
 この度のご配慮に対し、何とお礼を述べていいのか言葉が見当たりません。ほんとに感謝しています。未熟な私がどこまで出来るか分りませんし、不安に感じてはいますが、せっかく早川さんに与えていただいたチャンスを、私なりに何とか頑張ろうと思っています。もちろん水島さんに承諾していただいてのことですが……。

 早川さんは友誓会を通して、私に人の心の温かさを教えてくれました。努力して生きることの尊さを教えてくれました。そして女性として、いえ人間として強く生きることの大切さを、親身になって教えていただきました。

 私が早川さんに対して、一番男らしさを感じたことがあります。それは何かと申しますと、強烈なリーダーシップです。まるで、機関車のように周りをグイグイ引っ張って行く姿に圧倒されました。ただ引っ張っているということではなく、緻密さと周到な計算に裏打ちされた寸分狂いのない行動力は、まさに、時代のリーダーそのもののように私には映りました。

 今だから言えるのですが、実は、私は早川さんに女として惚れていました。しかし、それはほんの一瞬でした。今申しあげた早川さんの強烈な個性を身近に見せつけられて、諦めざるを得ませんでした。とても、ついて行けない人だったのです。早川さんはそのくらいの男っぽい人です。と、言えばカッコいいのですが、実は、違うのです。と言いますのも香織の存在があったからです。
 私は、香織が早川さんに惚れていることを知っていました。いえ、はっきりと香織から聞いた訳ではありません。女の勘で分るのです。香織が時々見せる悲しく淋しそうで、そして、今にも泣きそうな顔を見るたびに、ああ、香織は早川さんのことを死ぬほど好きなのだと思ったのです。
 友人のそんな切ない姿を見て私は、早川さんを諦めました。どうせ、片思いでしたので諦め切れました。香織が早川さんと上手く行けばいいがなあ、とそればかりを考えるようになりました。

 ある時から、それはごく最近のこと、そうですね、確か送別会が過ぎたあたりからだと記憶していますが、香織が吹っ切れたような顔をして明るく振る舞うようになったのです。私はてっきり、早川さんとの仲が上手く行き出したのだと思っていました。違ったのですね。逆だったのですね。

 友誓会の存在は、私にとって過去に経験したことのない、何と表現したらよいのでしょうか、人生とは何なんだ、人はどう生きるべきだ、自分をどう磨いていけばいいのかなど、とても大切なことを学んだような気がします。人の心に寄り添って生きることの大切さも教わりました。
 特に、今現在のことを考えることも、もちろん大切だが、遠い未来、自分の生涯を見据えた上で、今何をすべきか、今何を考えておけばいいかということに思いを巡らすことこそが、最も大事なことなのだと教わったのです。そのような観点に立ちますと、例えば、私が経験した、イケメンだからとかカッコいい職業に就いている人だから、という、ただそれだけで付き合ってしまうという行動が、はなはだ幼稚で馬鹿げた行為だと思えてくるのです。

 水島さんとのお付き合いがどうなるかは分りませんが、例え駄目になっても、教えていただいた教訓を胸に、明日に向かって強く生きて行けるような、今そんな気持ちでいます。

 早川さん宛に、個人的にメール出来る機会を得たということで、つい余計なことを書いてしまったような気がします。人間与えられた時間の中で、口に出してお話は出来なくても、こうして心の内を吐き出してしまうことが出来ることは、とてもありがたいことだと思うことでした。そんな機会を与えていただいたことにも感謝しなければなりません。これからも、叱咤激励していただければと願っております。

 泣かないと思っていたのですが、泣けてきて仕方がありません。
 ……本当にありがとうございました。

 島田という女性は、自分を良くわきまえた女性だと思った。おそらく、心が純なのであろう。汚れのない心が、あらゆるものを吸収消化して、明日に向かう原動力にしているように思われた。

 早川はこれらの承諾メールを、すぐにでも中村、内村、水島に連絡しようと思ったが考えを変えた。三人はそれぞれメールが届くことを心待ちにしているとは思うが、ここ一日か二日程度保留することにした。特別な考えがあってそのようにしたいと思った訳ではない。ただ何となくそう思っただけである。
 二日後に早川は、中村、内村、水島の三人のそれぞれに、彼女らがお付き合いを承諾した旨のメールを出した。メールの中に相手の女性の連絡用のメルアドを書いた。そして添付ファイルに顔写真を入れた。メールには以下の文面を添えた。

 この件に関する私からのメールは、これが最後になると思われます。

 貴殿に紹介したい相手の女性から、お付き合いを承諾した旨の連絡がありましたので、お知らせいたします。
 手順に従いまして、本日、連絡用のメルアドと顔写真を送信致します。
 本人には、必ず数日以内には、メールが届く筈だからと申してあります。よろしくお願い致します。

 今日まで、ややこしい手順を踏んでいただき、さぞ、不愉快な思いもされたかもしれませんが、これが早川というバカのやり方だと、寛大なお気持ちで、一笑に付されることを願っております。
 後は、お約束を守っていただき、出来ますれば、お互いが輝ける人生のスタートとなりますよう、心から願っております。

 これで早川の任務終了とさせていただきます。ご協力ほんとにありがとうございました。

 思えば島田の『私に恋人を紹介してください』の一言から始まった。友誓会で田部井の問題をみんなで考えてあげようという最中に起きたことであった。早川見合い塾なんてことを持ち出され、うっかり乗ってしまったのである。
 浅田も田部井も島田も、それぞれの思いで将来のことを考えてはいたと思うが、はっきりとした形で見えていた訳ではない、それだけに、なかなか思っていた通りにはいかない現実の厳しさを味わい、悩み苦しんでいたことも事実だと思う。早川の人間性に頼ることで、より良い結果が出ればという、いささか、他力本願的なことから始まったのである。
 早川にしてみれば、いくら知人同士であるとは言え、結婚を前提にして人を人に紹介することの意味を考えた時に、絶対に無責任には出来ないことだと、しり込みしたくなるような気にもなったし、やるからには、重大な決意で臨まなければならないと覚悟したものである。
 結果がどういうことになるかは、今の時点では分りようがないが、大いに期待出来る予感みたいなものを早川は感じていた。早川は、三組のカップルが誕生してくれることを心から願った。今週か来週中にでも、その朗報が舞い込むことを期待した。
 六人全てが早川の大事な友人達である。彼ら彼女らが、生涯の良き家族を生み出し、そして家族通しのお付き合いが出来て、お互いを尊重し合えるような絆が生まれれば、この上なく素晴らしいことだと思うことだった。

 C&Tの業務は順調すぎるくらいに推移していた。段々と骨格が煮詰まり、スタッフの熱気も盛り上がってきた。激しい議論が熱心に戦わされた。もちろん、早川自身もスタッフの一員として、その議論に参加して自分の意見を述べた。早川はこの議論を経て次のステップに進むことを是としていた。
 チームの力が作品に乗り移らない限り、優秀な作品は絶対に生まれないという持論を持っていた。
 ややもすると、スタッフの意見が無視され、リーダーの独りよがりの考えが支配的になり、それが作品に反映されてしまうケースがあるが、このような場合、良い作品が生まれた例はない。各スタッフも早川の持論をよく理解して、我がこととして受け入れ実践していったのである。
 業務が着々と進み、目に見えた成果が徐々に姿を現してきた。早川は早くも、来年四月の応募の締め切りを見据えていた。
 考えるところがあって、出来れば三月末の作業完了を目標にして作業を進めていた。そして、おそらく十月くらいであろう審査結果をも見据えていたのである。

 金曜日の午後となり、早川は、明日の土曜日と次の日曜日の篠ノ井行きのことを考えていた。
 亜希子との話し合いの中では、土曜日の朝、長野に行くことになっていたが、びっくりさせようと思い、仕事を早めに切り上げて夕方の新幹線に乗ることに決めた。
 帰り間際に浅田に電話した。低い声だった。
「どうだ? 上手くいってるか?」
「えっ、仕事?」
「仕事のことは隅々まで把握してるよ」
「ああ、例の件ですね。まだメール来ません。ほんとに来るのか心配になってきました」
「田部井も島田もそうなのかな?」
「ええ、今さっき聞いてみたんですけど、まだみたいです。大丈夫でしょうか?」
「あはは、さあそれは分らない。顔写真が気に入らなかったのかもしれないよ」
「えっ、うそー、顔だけで判断する人なのかしら」
「そういう人もいるからな、ま、果報は寝て待てというから、もう少し待つことだな」
「そうですね、今夜くらい来るかしら」
「さあな、来るかもしれないし、来ないかもしれない。そればっかりは何とも分らない」
「……」
「俺は、今日は所要があって早めに帰るから、後はよろしくな」
「はい。お疲れ様でした」

 悟が篠ノ井駅の改札口を通過した時は、既に二十一時を過ぎていた。亜希子の家までゆっくり歩いて十五分から二十分は掛かる。この道は、先日亜希子と一緒に歩いている。あの時は朝だったが今は夜である。真っ暗闇という程ではないが明るいとも言えない。新宿界隈を歩くとのとは違う。十二月も十日も過ぎると寒い。五分ほど歩いた時に携帯が鳴った。
「悟さん、こんばんは。お疲れ様」
 電話は亜希子からであった。
「やァー、こんばんは。寒くなってきたね」
「そうね。元気なの?」
「元気だよ。アキは?」
 早川はいつもと変わりない風に話した。
「私も元気よ。心配しないで」
「今、何してるの?」
「ええ、リコとテレビ見てるの」
「今夜のご飯は何だったの?」
「……?? 今夜はね、ハンバーグ作ったの。……どうして?」
「ハンバーグかあ、いいなあ、……ところで、リコも元気なの?」
「ええ、元気よ、代わろうか?」
「うん。ちょっと代わって」
 リコが電話に出た。
「お兄さん、こんばんは。……どうして先週来てくれなかったの?」
「あはは、ちょっと疲れてたから行けなかった。ごめんな。リコの声聞いて元気が出たよ」
「今度いつ来るの?」
「いつになるかなあ、暫らくは行けないかもなあ」
「そうなの? つまらない」
 リコはアキのまえで不機嫌になった。アキと代わった。
「リコが不機嫌な顔してるわよ。……で、明日は何時ごろ来るの?」
「そうだなあ、リコが不機嫌じゃ可哀想だなあ、今から行こうかなあ」
「えっ、今から? ふふっ、スーパーマンじゃあるまいし」
「あはは、だけど俺はスペースサトルだから、あっという間にそちらに着くよ」
「ふふふ、スペースサトルはいいわね。アキも乗りたい」
 アキと悟の会話が漏れて聞こえた。暫らく聞いていて、リコが急に腰を上げた。
「あ、悟さん、ちょっと待って。……リコ何処いくの?」
「お姉さん、喉が乾いたからジュース買ってくる。……お姉さんも飲む?」
「何よ、こんな時間に、ジュースなら冷蔵庫に入ってるじゃない」
「温かいジュースを飲みたくなったの。……ちょっと行ってくるね」
 リコが走って玄関を出た。アキが首をひねった。そして悟に話した。
「リコが飛び出して行っちゃった。変わった子ねぇー」
「あはは、聞こえてたよ。ジュースを買いに出たんだ」
「そうなのよ、ったく、……もう」
 悟は、もしかしたら、リコは何かを感じたのではないかと思った。家の近くになってきた。案の定、家の方から、手を高く振りながら必死になって走ってくるリコを確認した。携帯を耳に当てたまま歩いて来る悟を見て、リコが走り寄ってきて抱きついてきた。息が弾んでいた。悟は自分の唇に人差し指を当ててリコの方を見た。
「ちょっと待っててね、……」
 悟はアキに言ってから、リコに代わった。
「何だか様子がおかしいわね、……どうしたの?」
 言い終わるか終らないうちに、リコの声が聞こえてきた。
「お姉さん、温かいジュースがあったわよ」
 アキはびっくりして腰を抜かしそうになった。暫らく声にならなかった。……えっ、……どういうことよ。
「あははは、面白い。スペースサトルって早いだろ? 横浜から十分で来ちゃった」
 悟は、いかにも愉快そうにリコの顔を見ながら笑った。
「まあ、あきれた、二人で今度は私を驚かすつもりだったのね」
「あっはは、違うよリコも知らなかったんだよ。……な、リコ」
「そうよ。姉さんとお兄さんが話してるのを聞いてて、咄嗟に、もしかしたらと思ったの。そしたら、ぴったしカンカンだった」
 リコは悟と腕組みしてルンルン気分だった。アキは携帯を耳に当てたまま、玄関を飛び出した。道路に出た途端に、腕組みをして近づいてくる二人を見て、自分も悟の片方の腕にしがみついた。バッグが重たく感じた。
「あはは、気分いいねぇー。両手に花だ。……あははは」
「スペースサトルの機長さん、ようこそ」
 三人は、あけっ放しになっている玄関に入った。アキもリコも喜びが爆発していた。まさかのまさかである。ハプニングとはこのことである。それにしても、リコの勘の鋭さには驚いた。アキはリビングに入るなり、リコの顔をしげしげと見た。お兄さんに会いたい会いたいと思う気持ちが、もしかしたらという期待感とからんで、想像もつかない行動に出たのである。アキは、自分が真っ先に思わなければならなかったのにと悔しがった。
「ハンバーグはもうないかな? ……お腹空いた」
 悟はソファに掛けるなりアキに向かって言った。
「あら、途中でしてこなかったの?」
「そうも思ったんだけど、せっかくならここで食べたほうがいいと思って。……やっぱり食べてきた方が良かったかな?」
「ううん、良くお腹我慢したわね。今すぐ作るから待っててね。……リコ、ほら手伝って」
 二人はステップしながら台所に消えた。悟は新聞を広げた。地方紙を見るのは久しぶりである。台所の方から、アキとリコの弾んだ声が聞こえてきた。暫らくして、台所からいい香りがしてダイニングのテーブルに料理が並べられた。
「さ、どうぞ召し上がれ。お口に合うかどうか分りませんが」
「アキとリコの合作?」
「いいえ、亜希子姉さんの手料理です。私はひき肉をこねただけです」
「ほォー、ということは、俺にとっては、亜希子姉さんの手料理を初めていただく訳だ」
「ですね、ちょっと緊張ね」
 アキが恥ずかしそうな顔をした。
「あら、妹の私が言うのもなんですけど、お姉さんの料理は定評があるのよ。旨いって評判なのよ」
 悟はそれは既に体験済みである。あのレトロ列車でのあの味は、未だに忘れられない。
「お、そうだ、思い出した、……初めてじゃないな。……そうだ、レトロ列車の中でご馳走になって以来だな」
 悟はアキに目を向けた。思い出しただけでも、泣けてくるような出来事であった。あの出来事がなければ今日はなかった。
「レトロ列車? 何なのそれ」
 リコが尋ねてきた。
「私と悟さんを結び付けてくれたキューピット列車」
「ああ、博多に遠藤さんと旅行に行った時のことね」
「そうなの。今思うと奇跡の出会いよね。思い出しただけでも泣けてきそうな、とっても素敵な出会いだったわ」
「そうなんだ、羨ましいなあ、リコもそんな思い出が欲しいなあ」
 悟は、アキの料理の美味しさに今更ながら驚いた。
「あのね、アキ」
「はい? まずかった?」
「いや、そうじゃないよ、逆。どこか駅前あたりにレストラン作ろうか?」
「えっ、今何と言ったの?」
「うん、レストラン作って、アキの料理をみんなに食べて貰おうよ。勿体ないよ」
「凄い、お姉さん、これって最高の誉め言葉よ。……レストラン作る? ……私がウェートレスしてあげる」
「だな。俺はじゃあ、皿洗いを手伝うかな」
「おやまあ、二人ともその気になって。おだてても駄目よ。何も出ませんよ」
「あは、でも美味しい。とっても美味しいよ。最高だね」
「お兄さん、今幸せ?」
 リコが意地の悪そうな声で聞いてきた。
「うん。悟兄ちゃんは今、最高に幸せでーす」
 悟はおどけてみせた。
「お姉さん良かったね。ご馳走さまでした」
「ま、この子ったら冷やかして、嫌な子ね」
 食事を済ませて悟は、二人と共にリビングのソファに腰を下ろした。
「悟さん、お風呂は?」
「うん、沸いてるの?」
「ううん。家のお風呂は二人とも入っちゃったから、お湯を落としてしまったの。だって、悟さんが来るなんて思ってもみなったから」
「そうだよな、じゃあ、今日は止めとくかな、でも、シャワーだけでもと思うけど寒いかな」
 アキは思い出したように悟に話しかけた。
「あ、その前に、先週の土曜日に、実はお父さんから電話があったの」
「あ、そうなんだ。何で教えてくれないの? ……元気そうだった?」
「元気だった。お母さんもすごく喜んでた」
「そうか、それは良かった。……うんうん、良かった」
「でね? 怒られたの」
「えっ、誰が? アキが?」
「そう、私に怒鳴るの」
「どうして?」
「今日は悟は来ているのかって言うから、いいえって言ったら、いきなりドカンと」
「ほんとかよ、ひどいなあ、それは」
「で、私が、悟さんが落ち着いてお休み出来る部屋がないから、遠慮してるんじゃないかしらと言ったの」
「うん、で、お父さん何と言ったの?」
「そうか、そうだな、と小さな声で言ったきり黙ってしまったの。随分時間がたってから、あの五階の部屋はどうだろうかと言い出したの」
「五階? ……ああ会社の?」
「そうなの。会社の五階に、住み込み用の部屋があるの。もうだいぶ前から空き部屋になっているんだけど、結構いい部屋なの」
「そうなんだ、へぇー、住込み用の部屋があるんだ」
「そう、で、私がそこを使ってもいいの? と聞いたら」
「家を増築する手もあるけど、不便だけど、とりあえず、そこでどうかなあって言うの」
「俺はどこでもいいよ。たまに来るだけで、毎日いる訳じゃないから」
「で、私が、じゃあそうするね、明日から掃除しておくからねと言ったら、急に優しくなって、怒鳴ってすまんと言って、そうしてくれるか? だって」
「あはは、振り上げた拳を下ろす所がなくなったんだ。相変わらずだね。お父さんらしくていいじゃないか」
「何よ他人事みたいに、怒られる私の身にもなってよ」
「あはは、長女としての宿命だね。それくらいのことは甘んじて受けよう」
「まあ、あきれた。それでね、リコと二人できれいに掃除したの。そしたら、掃除しているところに専務が覗きに来て、誰かまた住み込みの人が来るんですかと聞くの」
「うん。で、何と答えたの?」
「はい。そうです。よろしくお願いいたします、と言ってやったわよ」
「あはは、とうとう俺も住み込みになってしまったか。で、専務の顔はどんな風だった?」
「何か、少しびっくりしたような顔だったわ。ね、リコ」
「そう。首をひねりながら去って行ったわ」
「俺は、たまに休みの日に来て寝るだけだから、社員さんなんかと顔を合わせることは殆どないだろ?」
「そうなのよね。だから心配しなくてもいいわよ」
「リコが社員として勤め始めたら、真理子さんが住み込み用の部屋を利用するんですか? なんて言われたりして」
「あら、ほんとだ、タイミングがばっちりね」
 三人は大笑いした。
「その時はどういうの? リコ」
「はい。そうです。よろしくお願いしますって言おうかしら」
 リコがいたずらっぽく笑いながら言った。
「あは、本気にする訳ないよ」
「ですね」
「俺が寝泊まりするってことは、会社の人は知らない訳?」
「いいえ、お父さんが、もし何かがあった時困るから、社員には言っておくからと言ってたわよ」
「あ、そうなんだ。さすがだね。その方が何かといいと思う。俺もコソコソしたくないからな」
「ええ、そうね。で、さっきのお風呂の話だけど、そこのお風呂使ったら?」
「えっ、お風呂がついてるの?」
「そうよ。台所もあるわよ。だって住込み用ですもの、一応生活出来るようにはなってるわよ」
「そうなんだ。凄いね。まるでマンションだな」
「ふふ、マンションには遠く及ばないわよ。お粗末だから、ま、仮住まいの感じね」
「そっか、いずれにしてもありがたいなあ」
「今から、そこに行ってみる?」
「そうだね、そうしようか」
「じゃあ、案内するわ、リコも行く?」
「ううん。遠慮するわ。行ってらっしゃい」
 一緒に行きたいのは山々だが、リコは気を利かした。少し淋しそうだった。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「行ってらっしゃい」

 エレベーターで五階に昇った。
 部屋は結構良い部屋だった。部屋に入るなり、アキが悟に抱きついて来た。二人は長いキスをした。アキの目がやや潤んでいる。まさか、今夜悟が来てくれるとは思いもよらないことで、嬉しさがこみ上げてきたのである。
 悟はアキから身体を離し部屋を見た。今流行のワンルームマンション風な作りで、一人で暮らすには充分である。シングルベッドが置いてある。その横にソファがあり、隅に小さなテレビが置いてあった。洗面所の横に狭い浴室があり、ユニットバスが据え付けられていた。
「このソファね、ベッドにもなるのよ」
「お、そうか、ソファベッドだ。セミダブルくらいの大きさかな?」
「そうよ、いいでしょう? うふふ」
「いいね。やったね」
「ほんとは何もなかったの。妹の提案で買ってきたの」
「えっ、リコの提案?」
「そうなの。憎たらしいでしょう? こういう場合、私が思ってても、私自身から言い出したらまずいと思って、黙っていたら妹から言い出したの」
「何て言ったの? リコは」
「何と言ったと思う?」
「さあ、テレビはベッドに座ってみるの? まずくない? とかなんとか」
「うん、ま、そんなとこだけど、……ねぇ、お姉さん、此処に来て、三人でテレビ見るためにソファ置いたら? って言うの」
「三人で?」
「そう、で、私が、そうよね。そうしようかと言ったら喜んでくれたの。で、私はすぐ家具屋に行ってソファベッドを注文したの」
「リコは、ソファベッドって知ってるの?」
「多分、気がついてないかもしれないし、勘のいい子だから、知ってて知らない振りしているのかも知れないわね」
「リコが、三人でテレビ見るためにと言ったのは、そういう風に言えば、お姉さんはきっとソファベッドにする筈だ、と思っていたんじゃないのかなあ」
「ええ、私もそう思うの。憎たらしいほど気が利くのね、あの子は」
「そっかあ、じゃあ、リコの気持に答えなければいけないなあ、今夜は」
「まあ、嬉しい。……着替えは持ってきたの?」
「うん。そのバッグの中にあるよ」
「じゃあ、私が用意するから一風呂浴びてきたら?」
「そうするかな。アキは?」
「えっ、一緒に入るの?」
「いや、さすがに狭いからそれは無理だよ。そうじゃなくて、一旦部屋に戻ってまた来るの?」
「そうね、リコのこともあるし一旦戻ってまた来るね」
「だな,そのほうがいいね。……だけど」
「だけど何?」
「俺は来たばかりだし、リコともう少し話をしておいたほうがいいのでは、と思ったりしたもんだから」
「相変わらず優しいのね。実は、私も同じことを考えていたの。今夜は遅くなってもいいし、明日もあることだから」
「だね。やっぱりそうしようか、……じゃあ、……アキ」
 悟がアキを手招きした。ベッドに横たわりると、時間が際限なくかかるとまずい。立ったまま抱き寄せて優しくキスした。
「じゃあ、そういうことで、後で下に降りていくから」
 悟は、乱れたアキの髪を整えた。
「ありがとう。じゃ待っています」
 アキがドアを開けて出て行った。

 土・日の休みは、あっという間に過ぎてしまった。
 両親のいない三人の生活は、アキもリコも今まで体験したことのない、新鮮で楽しい体験となった。
 リコがスムーズに仕事が出来るようにする為の、リコ鍛錬養成講座も二日間行われた。
 講座にはアキも出席した。悟がどんな感じで講義するのか興味があったからである。悟は、専務から預かったという資料をリコから受け取り、予め目をお通していた。
 講義はかなり厳しいものであった。やるからには徹底的にやるのが悟のやり方である。当の本人であるリコはもちろんであるが、アキまでも悟の厳しい講義に圧倒された。
 アキは悟の人となりに改めて感服し頼もしいと思った。悟の会社での仕事ぶりを垣間見たような気がした。
 リコは悟の講義を受けて、実社会の厳しさを予感した。生半可な気持ちで臨んだら、きっと挫折してしまうと痛切に思った。リコの目は真剣そのものだった。悟の一言一句を聞き漏らすまいと、必死に耳を傾けた。

 日曜日の夜に社宅に帰り着いた。気になっていたことがあり、早川はパソコンを立ち上げてメールソフトを開いた。しかし、気にしていたメールは届いていなかった。浅田、田部井、島田の三人に、男性陣からメールは届いたのだろうか。少し気になりだした。

 次の日の月曜日、郷田部長から電話があった、作業の進捗状況が気になっているみたいだった。早川は順調に進んでいる旨を話した。
「この前から言っていた、君の慰労会をやりたいのだが、今夜はどうかね」
 早川は郷田の誘いを喜んで受けた。
 郷田に連れていってもらった所は、食事も酒場も、かなり高級な所ばかりだった。食事をした後、二軒の酒場で歓談した。郷田はことのほか上機嫌であった。
 一時は、事と次第によっては、腹をくくらなければならない事態も想定されていただけに、事案が解決されて安堵している様子だった。残るは早川の手による設計コンペ如何に掛っている。優勝が絶対条件である。これが達成出来れば、全てが解決したことになり、おそらく郷田の会社での将来は揺るぎないものになってくる。次期社長が見えてくる。
 早川は郷田が会社の代表者になり、その手腕を発揮すれば、国内における会社の存在は、圧倒的なものになると思っていた。
 早川は、アメリカからの帰国後一年を目途に、退職届を出す腹を固めている。亜希子との約束を果たさなければならない。こうしている今も、船は目的の港に向かって動き出しているのだ。
 郷田は、早川のそんな思いを知る由もなかった。むしろ、アメリカ出張を終えたあとのポストのことを考えていた。第一線から退いてもらい、管理職として活躍して欲しいと願っていた。そのために重要ポストを用意しようと考えていた。

 火曜日の夜、社宅に帰り、調べ物をしようと思いパソコンを立ち上げた。ネットで検索して、いろいろな知識を得た。ネットの素晴らしさを改めて感じた。調べが終わって、何の気なしにメールソフトを立ち上げた。
 内村克行からのメールが入っていた。次のようなメッセージが書かれていた。

早川 悟 様へ
 いつも大変お世話になっております。また、この度のご配慮痛み入ります。
 本日は、ご紹介いただいた女性について、中間報告をさせていただきます。
 まずは、正直に申し上げます。どうしてあのような手順が必要だったのか、今はっきりと、その意味を理解出来るようになりました。人の心を大切になさる早川さんならではのことと、深く感銘致しております。

 さて、肝心なお話の件ですが、何と申し上げたらよろしいのでしょうか。私も若輩ながら、仕事柄いろいろな方とのお付き合いがあります。正直に申しまして二、三人の方から付き合ってみないかと言われて、女性を紹介されたことがあります。デートも何回かしたことがあります。しかし帯に短したすきに長しでした。私の心を満足させるには、ほど遠い方達ばかりでした。いきなり、紹介していただいた方も交えて飲食を共にした訳です。良くあることなのでしょうが、今思いますと、正しいやり方ではないように思えてなりません。今回の早川さんのやり方を見て、はっきりそう思ったのです。
 お互いの心に寄り添い、多少の屈曲はあったとしても、死ぬ間際になってこの人で良かったと言えるような、そんな生涯の伴侶となる人は、そう簡単には決められないと思うのです。人の心の奥深い部分に存在する人生観みたいなものを省いて、ただ表面的なものだけで判断する愚を、相当数の人々が犯しているのではと思うのです。今回の早川さんのとられた手順は、正にその愚を犯してはならないという強い思いが感じられました。さすがだなと深く感銘を受けました。

 ご紹介いただいた女性、田部井千鶴さんにはすぐメールしました。すぐにでもお会いしたい旨のメールをしました。顔も私の好みの方ですし○、△、Xの回答すべき項目の文言がとても気に入ったのです。
 田部井さんからはすぐ返事をいただきました。そしてもう何回かメールのやり取りをさせていただき、近いうちに会う約束も取り交わしました。今私の胸はときめいています。
 私にしましたら、これはまさに奇跡です。正直、まさかこんな素敵な女性とお付き合い出来るなんて、想像だにしていませんでしたから、奇跡が起こったとしか言いようがないのです。この気持ちを早くお伝えしておこうと、メールに及んだ次第です。

 早川さん、ほんとにありがとうございました。何とお礼を申し上げたらいいのか、言葉もございません。取り急ぎご報告とさせていただきます。また近いうちにお会い出来ることを所望いたします。

 尚、例のニュースソースのことですが、いただいた資料を基につぶさに裏付け調査をしております。調査は極めて順調に推移していることをお知らせしておきます。後日機会がありましたらご報告いたします。
 内村 克行

 早川はただ良かったと思った。実は一番気にしていた組合せであった。今夜のところは、とりあえず喜ぶことにしようと思った。内村という記者は早川が睨んだ通り、一般の記者にはない泥臭さというか、とても人間味のある人物だと確信した。メールの文面を見てそう思った。実際に付き合いだしても、二人が上手く行ってくれればいいが、と早川は念ずるような気持だった。田部井、ガンバレ。

水曜日の朝、浅田から電話があった。
「コーヒー入れましょうか?」
 早川は三人の成り行きが気になっていた。浅田から電話があって、自らコーヒーを入れましょうかなんて、今まで一度もなかった。早川は何かあったなと感じた。
「うん。頼む。例の美味しいのをね」
「はい。少しお待ちください。特別な味をお届けします」
 暫らくして、浅田がコーヒーカップをデスクに置いた。浅田の顔は、まるで人が変わったような、爽やかな顔に笑みをたたえていた。今まで見慣れていた顔よりも一段と綺麗に見えた。絶対に何かいいことがあったのだと思った。コーヒーカップには、白いクリームが溢れんばかりに盛られていた。
「お、オォー、凄いね、会社でこんなことまで出来るんだ」
「ふふ、今日はとっておきの大サービスです」
「何か、いいことがあったみたいだね。顔にしっかり書いてあるよ。例の件、順調に行ってるんだろ?」
 早川は、浅田の顔をしきりに覗き込むようにして見詰めた。
「フフ、そんなに見詰めないでください。……その件で、相談があるんですが」
「うん、何だね」
「今日三人で、例の場所で夕食会をするのですが、一緒して貰えませんか? 今夜はご招待です」
「ご招待? 何だね、それ。……ま、何でもいいや、……そうか。うん、分った。何時?」
「今日は残業ゼロの日でしょ? だから、十八時からコーヒーでも飲みながら歓談して、十九時からお食事という段取りをしているんですが、どうかしら。まさか、この前みたいに残業はしないでしょう?」
「大丈夫だ。分った。十八時だな? オーケー。もしかしたら、最後の友誓会になるのかもしれないな」
「さあ、どうでしょうか。じゃあ、お待ちしています」
 多分三人とも、男性からのメールが届いたのであろう。それを肴に花を咲かせようと見える。そうであればいいが……。

 十五時頃甲斐オーナーから電話があった。
「あ、オーナー先日はありがとうございました。とても楽しい夜でした」
「こちらこそ、ありがとう。あんな美味しいお酒味わったの初めてよ。もう何もかもすっきりしたわ」
「それは何よりでした」
「早川さん、やってくれたわね。さすがね、やることが、やっぱり他の人とひと味もふた味も違うわね。水島相当喜んでたわよ」
「水島さんからもう連絡あったのですか?」
「そうなの、まあ、あの喜びようったらありゃしない。すごく気に入ったみたいで、もう何回かデートしてるみたいよ」
「えっ、ほんとですか? ……はや、……そうですか、良かった。いや実は、紹介はしたものの、上手く行くかなあと少し心配していたんですよ。そうですか。それは良かった」
 早川は安堵の声を出した。
「水島がね、早川さんのことを感心してたわよ。凄いの一言だって。私はとてもあんな発想は出来ない、とも言っていたわよ。何をしたのよ」
「あはは、大したことはしてませんよ。……そうですか、良かった、良かった。ホッとしました」
「私もほんとに嬉しかった。これで水島も、仕事に張りが出て活躍してくれると思うと、早川さんになんてお礼を言えばいいかと、ほんとにありがとう。恩に着るわ。このお返しはきっとさせてもらいます。後日電話するね」
「そんなに気を使わないでください。大したことしてませんから」
「うん、分ったわ。……じゃあね、またね」
 甲斐オーナーはさっさと電話を切ってしまった。早川は気分がすっとして胸をなでおろした。
 田部井に続いて、浅田の顔の表情と甲斐オーナーの話しぶりから、浅田と島田も順調に推移してると判断出来そうである。

 今夜が最後の友誓会になるかもしれないと思いながら、早川が十八時に顔を出した時は三人は既に席に着いていた。いつもの場所での会合なのに、今夜は漂う雰囲気の色が違って見えた。うら若き女性の華やかさが充満していた。
「おやおや、何と華やかなこと。今まで見たことのない華やかさだね」
 早川が席に腰を下ろしながら語りかけた。
「早川さん、何になさいますか? お好きなものをご注文ください」
「そうだな。ミルクティーとチキン南蛮」
「また、それですか? 今夜はもっと別なのにしません?」
 浅田があきれたような顔で言った。
「お勧めはあるの?」
「はい。極厚のビーフステーキと、ご飯にサラダ付でどうですか? ステーキは鹿児島産の黒毛和牛だそうですよ」
「ウォーー、凄い豪華版だね、故郷の味か。元気が出そうだな。たまにはそういうのもいいかもな、よし、それにしよう」
「デザートは、宮崎産のマンゴーでいいですか?」
「何だよ君たち、今日はいつもと違って何だかおかしいよ」
「ふふ、おかしくていいのですっ。記念日ですから」
 浅田が屈託のない顔で言った。
「記念日? 何の?」
「三姫一太郎記念日」
「何だよそれ」
「何でもいいのですっ。京ちゃんお願いね。注文」
 島田がいつものように奥の電話の受話器を取った。島田が注文し終えるのを待って、幹事の浅田が、席の横に立って改まった顔で言った。
「今夜は早川さんの労に報いるために、私たちのお礼と、感謝を込めた会としたいと思います。……一同起立」
 三人が起立して、早川に向かって深々と頭を下げた。
「おいおい、いきなり何だよ。いつもの友誓会と少し様子が変だぜ。……どうしたんだよ」
「はい。とにかく、今夜は何にも言わずに、黙って私たちにお付き合いください」
「それにしても君たち、今夜は一段と綺麗だね。粧し込んじゃって。恋する女性って感じだね」
「あら、そうかしら惚れ直しましたか? ウフッ」
 島田が、見て頂戴と言わんばかりに早川の顔を見た。
「うんうん。惚れ直した。実に綺麗だよ」
 早川が本気になったような顔をした。
「少し遅かったようです。惚れ直すのが」
「えっ、どうしてだよ、……えっ、……ということは、……ということになったってことかい?」
「はい、……ということになりそうなのです」
 浅田と田部井が、早川と島田のやり取りを見ていて吹き出した。
「何よ、二人とも。……じゃあ、そろそろ、その話をじっくりすることにしましょう」
 浅田が早川の顔を意味ありげな顔で見た。
「早川さん、これから一人ずつ中間報告しますので良く聞いててください」
 早川は既に内村からのメールと甲斐オーナーからの電話で、改めて聞かなくても大方の予想はついていた。
「お、そうか、分った」

 三人はそれぞれ嬉しそうな顔で経過を話した。三人三様に、もう嬉しくて嬉しくてたまらない、ワクワクするような思いが伝わってきた。早川は、これで良かったのだとつくづく思った。あとは、残された決定的な結果さえ聞けばよいと思った。
 三人にとって今年のクリスマス・イブや年末年始は、いつになく楽しいイベントになるだろうと思うことだった。
 良かった。ほんとに良かった。……幸せにな、みんな。

 
 


第8章 カップリング
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