語らいの中に輝かしい未来の光を垣間見る時があります
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◆ 猫と犬と人間の幸福とは!

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「今凄いペットブームだよな」
「ほんとほんと、それこそ猫も杓子もってとこね」


私達の心の叫びを聞いて!

「猫と犬の飼育割合ってどのくらいの比率なのかしら」
「スマホで今調べて見るからちょっと待って」
「ハイ」
「猫が約950万匹で、犬が約890万匹だそうだから猫の方が多いみたいだね」
「あら、そうなの?犬の方が多いと思ってたけど」
「最近逆転したみたいだよ」
「そうなんだ。知らなかった」
「飼育世帯数で比較すると、猫が約550万世帯で犬が約720万世帯くらいだそうだよ」
「世帯数は犬の方が多いんだ」
「犬は大抵一匹のみだけど、猫の場合は複数匹飼うケースが多いからみたいだね」
「なるほど、そうかも」

「ところで、最近猫の方が多くなってるって言うけど、猫の魅力って何だろう」
「猫って、動きを見ててもちっとも飽きないわよね」
「うんうん、だなあ」
「それに『猫かわいがり』という言葉があるように、やたらと無心に猫を可愛がる」
「そうだよなあ、そんな光景を良く見るよなあ」
「外国のことは分らないけど、猫に寄せる無償の愛は日本人好みなのかも」
「だけどさ、猫ってどっちかと言うと、犬に比べて思い通りにならないことない?」
「ふふ、そうよね。誰かと良く似てる」
「誰かって誰だよ」
「さあ、誰かしらね」
「それに、猫は凄く気まぐれだと思わない?」
「うんうん、そうよね」
「撫でてほしい~と甘えて来たかと思いきや、撫でている最中にプイと去って行く」
「フフ、猫らしいと言えば猫らしいわね。犬にはない行動よね」

「あのさ、猫とか犬のことわざ知ってる?」
「そうね、何だろう『猫に小判』とか?」
「『猫被り』『猫の首に鈴』『猫の手も借りたい』『猫の目』なんかも良く言うね」
「良く知ってるわね」
「こんなのもあるよ。『女の心は猫の眼』」
「へえ~、知らなかった。どういう意味なの?」
「女性の心は、猫の目のように変化しやすいというたとえ」
「何よ、どうして私の方をジッと見て言うの?」
「あはは、じゃないかなあと思って」
「失礼ねえ、こう見えても一途な方なのよ」
「アハ、そうだね。訂正してお詫び申し上げます」
「フフ、どこかの放送局の決まり文句みたい」
「猫のことわざは結構知ってるけど、犬のことわざはあまり知らないなあ」
「『犬も歩けば棒に当たる』」
「おっと、サッと出てきたね」
「それくらいしか知らないもの」
「『犬の遠吠え』とか『飼い犬に手を噛まれる』なんてのもあるね」
「……」
「……そうだ、あった。…『夫婦喧嘩は犬も食わない』」
「それって良く聞くけど、どういう意味なの?」
「夫婦喧嘩は長続きせず、すぐに仲直りするものだから」
「ええ」
「他人が仲裁に入るのは馬鹿馬鹿しいことであるというたとえ」
「あは、なるほど、言えてるわね」
「こうしてみると、やっぱり猫の方が親しまれてるってことかしら?」
「いや、そうとも言えないような気がするなあ。たまたま知らないだけだと思う」
「そうね、調べたら、もっと一杯あるような気がするわね」
「そう思う。今、思い出したんだけど、猫と犬の特徴を表すことわざもあるよな」
「例えば?」
「『犬は三日の恩を三年忘れず』『猫は三年の恩を三日で忘れる』」
「あら、猫ってそんなに薄情なのかしら。でも何となく分るような気がするわね」
「『犬は人に付き、猫は家に付く』ってのもあるよ。特徴を良く表してるね」
「うんうん、良く分る。確かにそうよね」

「『猫は家に付く』を、田舎で実験したことがあるんだよ」
「エッ、実験?どういう実験?」
「田舎で三毛猫を飼ってるんだけど、ほんとかどうか試して見たくなったんだよ」
「うん」
「家からおよそ2kmくらい離れたところに、橋が架かってる所があるんだけど」
「まさか、そこまで連れていったんじゃ?」
「そう、朝、車で連れて行って、橋のたもとに置き去りにした」
「まあ、あきれた。かわいがってる猫でしょう?」
「それはもう」
「もしも帰って来なかったらどうするのよ。可哀想な事になるでしょ?」
「死んでしまうかもしれないしね。でも、なぜか絶対帰って来るって自信があった」
「へえ~、驚いた。で、結果は?帰ってきたの?」
「ちゃんと帰って来たよ。夕方にね。何食わぬ顔してたよ。猫って凄いなと思った」
「へえ~『猫は家に付く』ってほんとなんだ!」
「いや、『うちの猫はたまたま帰ってきた』と言った方が良いみたいだよ」
「あら、猫は全てそうじゃないの?」
「そういう事じゃなくて、2kmくらいだったからかもしれないし」
「あ、なるほど」
「50kmだったら多分無理だと思うけど、愛猫だから、流石に試す気になれない」
「そうよね、もしも帰って来なかったらと思うとねえ」
「うちの猫の話を聞いて、近所の家でもやったみたけど帰って来なかった」
「同じ場所?」
「そう、橋のたもと」
「それでどうしたのその猫。まさか死んだんじゃないでしょうね」
「3日位経っても帰って来なかったから、心配になって探しに行ったら見つかった」
「ああ、良かった」
「だから、猫によりけりだという事が分ったという話」
「へえ~、そうなんだ。ちょっと面白い話ね」

「怪談に良く出てくるのが猫で、美談に良く出てくるのが犬」
「お化けの美女と黒ネコの怪しく光る眼。嫌だ、寒気がする」
「犬の美談と言えば、やっぱり忠犬ハチ公だろう」
「そうよね」

「ところで、ペットブームの裏で、とても嘆き悲しいことが起きてるの知ってる?」
「ええ、テレビなんかで良く取り上げてるわよね」


こんな私に誰がした

「人間のエゴで、小さな命がないがしろにされている実態を見ると悲しくなるよな」
「ほんとそうね。猫や犬には罪がないのに、そういう目に遭うなんて……」
「人間の側にいろいろな事情が生じて、止むを得ず捨ててしまうとか虐待するとか」
「なんて惨いことなの。事情があるにせよ、あまりに身勝手過ぎない?」
「うん、だったら飼うなよと言いたくなるけど、そうせざるを得ない何かがある」
「どこかに相談するなりして、ペットたちの幸せのことを考えないのかしら」
「ペットたちに毎日癒されて暮らして来たのになあ。きっといまに罰が当たるよ」
「さっきの黒猫の目?夜な夜なお化けになって出てくる?ああ、ヤダ、ヤダ」
「これは誰にでも起こり得る問題でもあるから」
「そうよね」
「社会全体で考えなければならない問題でもあると思う」
「行政も含めて、もっと真剣に取り組んで欲しいと思うわ」
「猫や犬たちのペットと共生する社会のあり方が、今問われてるのかも知れないね」
「そうね」

「実は俺の身内で、犬に可哀想なことをしたなあと思う出来事があったんだよ」
「えっ、ほんと?どんなこと?」
「犬を捨てたとか虐待したとかの話ではないけど、あまり人には言えない事なんだ」
「良くある話なの?」
「そうだね、この前も家の近くで似たようなのを見たから、最近多いのかもなあ」
「何だか気になる話ね」


飼育責任を果たせなかった結末は

「これから話すことは、俺の兄の家で起きたことなんだけど」
「二枚目のお兄さんね。近所の評判もとっても良いと聞いたわよ」
「お褒めにあずかりありがとう。兄に良く伝えておきます」
「だけど、兄弟でどうしてこうも似てないのかなあ」
「オイオイ、顔のこと?それとも性格のこと?」
「両方。もしかしたらお父さん似かな?お母さんは美人系だから、きっとそうね」
「両方?顔は仕方ないだろ?こればっかりは、さすがの俺もなあ」
「フフ、さすがは余計かも」
「だけど、確かに親父はお世辞にも二枚目ではないけど、実直で凄い働き者だぜ?」
「そうよね、男は顔じゃないわ。だからお母さんみたいな美人に惚れられたのよ」
「おお、たまにはいいこと言うんだ」
「でも、あなたの性格はお母さん似かしらね。大らかで笑顔を絶やさない人だもの」
「おふくろはそうだよなあ、いつもニコニコして親父よりは大らかだよな」
「あなたとお兄さんと大きく違うのは、何と言っても優しさかしらね」
「優しさの違い?どういう事?言っとくけど兄は優しいというもっぱらの噂だぜ」
「同じ優しさでも、どことなく違う感じしない?やっぱり長男だからかしら」
「そう言えば兄はどことなく『凛とした優しさ』って言い方おかしいかなあ?」
「そんなことないピッタリな感じね。その点あなたの優しさは『男の優しさ』よね」
「それって褒めてるの?それとも」
「バカねえ当たり前でしょ?私の好きな最上級の誉め言葉よ」
「おお~、初めて聞くセリフだな」
「女は男の真の優しさにからっきし弱いのよ。……フフ、覚えといてね。ご満足?」
「ハイ、ありがとう。頑張ります」

「あ、何の話だったっけ?」
「これだもんな。いつも話を横道にそらすんだから。運転免許証は横道限定?」
「ハイ、会話を楽しみたい一心で、ついつい。ごめんなさい。……で、何?」
「うん、それも悪くはないね。話って言うのは、俺の兄の家で起きたこと」
「あ、そうそう、そうだったわね」
「ったく、あきれた。……で、少しばかり古い話なんだけど」
「ええ」
「ある忘れもしない日曜日だった。兄の娘が小学3年の時だったけど」
「名前なんて言うの?」
「花と音をくっ付けて花音。カノンと呼ぶ」
「カノンちゃん。いい名前ねえ~。花の音?どんな音かしら」
「また始まった横道。しゃーない、付き合うか。花の音聞いたことない?」
「そんなの聞いたことある訳ないでしょ?あるの?」
「アハ、俺も聞いたことない。兄に同じ質問したんだ。どうして花音かって」
「あ、そうなんだ、お兄さん何と言ったの?」
「子供に一生ついてくる名前だから、相当考えたらしいんだけど」
「うんうん、しかも女の子だし、いい加減な名前じゃ可哀想よね」
「兄はこう言ったんだ。俺は兄を見直したね。こうイメージしたらしい」
「へえ~、どんなイメージ?」
「雲一つない晴れた日の早朝」
「うん」
「露に濡れた一輪の可憐な花がパッと開く。その時の何とも言えない透明な音」
「わあ~ステキ!お兄さんて凄く繊細な人なのね。また一つ増えた感じ」
「何が?」
「あなたと似てない性格」
「あはは、もう、いい加減にしない?」
「い~え、もう一つ言わせて。これって凄くロマンチックな響きしない?」
「うん、俺も兄から聞かされて、それを感じた。改めて花の音の響きを感じた」

「ありがとう!いい話聞いたわ。で、小学3年のカノンちゃんがどうかしたの?」
「弟の俺のところに来て、相談があるって言うんだ。真剣な顔でな」
「小学3年生じゃ好きな人が出来たからって訳でもないでしょうし、何だったの?」
「俺に向かって、急に犬を飼いたいと言いだして」
「うん」
「話を聞いてみると、どうも近くの家で生まれた子犬の中に気に入った子犬がいて」
「ええ」
「飼い主に『気に入った子犬がいたらあげるよ』と言われたらしい」
「まあ、渡りに船?」
「うん、だろうね。カノンは急に子犬が欲しくなって、もう無我夢中で俺に直訴」
「えっ、どうして?お兄さんに直訴したらいいのに」
「強く直訴したらしいよ。だけどダメだと言われたらしい」
「はは~、だからあなたから説得してくれと相談しに来たんだ。何とまあ策略家ね」
「学校の成績もいいし、俺とも仲良しだし、可愛い子だよ」
「可憐で透明な音のする子ですもの、相談に乗らない訳にはいかないわね」
「そうなんだよ」
「子犬はほんとに可愛いから誰でも飼いたくなる。カノンちゃんの気持ち分るなあ」
「カノンにしたら、その可愛らしさが脳から離れなかったと思う。目を見たら分る」
「可愛さがカノンちゃんの脳を占領したんだ。で、どうしたの?承諾したの?」
「俺も犬は大好きだし、いつかは飼いたいとは思っているくらいだから」
「じゃあ、文句ないじゃない?承諾したんでしょ?」

「うん、二人で手を繋いで兄の家に行った。カノンが俺の手を強く握りしめていた」
「分るなあ、カノンちゃんの意地らしい気持が手に取るようね。……それで?」
「兄は、俺とカノンの連れ立った姿を見て察しがついたらしい。苦笑いしてた」
「その手を使ったか。俺の娘もやるじゃないかって?」
「そこまで考えていたかどうかは分らないけど、俺は会釈して事情を話した」
「『カノンちゃんの望みを叶えてやれよ』とでも言ったの?」
「うん、言った」
「そしたら?」
「兄は厳しい顔を俺に向けて、首を横に振った」
「あ、意外。そうなの?」
「うん、俺はカノンの様子をチラチラ見ながら執拗に説得したが、ダメだった」
「へえ~、お兄さんて見た目と違う頑固なところがあるんだ」
「いや、頑固と言うより何か強い信念があるみたいだった」
「そうなんだ」
「それに兄から色々話を聞いてるうちに、なるほどと思わせるところもあって」
「どんなこと?たかだか犬を飼うことぐらいのことでしょう?」
「いや、その頃の兄は犬の世話をするほどの時間的なゆとりもなかったし」
「ええ」
「生き物を世話することの大変さを知っていたから、少なからず躊躇があった」
「それでも、カノンちゃん駄々をこねてきた?」
「兄は困った顔をしたが、その通りなんだ。ついにはカノンが泣き出してしまって」
「あらまあ、それは大変だ」
「考えた末に兄は、カノンに犬を世話することの大変さを噛み砕いて説明したんだ」
「それは良いことよね。で、カノンちゃんの反応は?」
「カノンにしたら、兄の説明なんてどうでも良かったんだ。顔に書いてあった」
「兎にも角にも、お父さんからOKが欲しかった」
「そういう事だね」
「OKしたんだ」
「うん、かわいい一人娘の言うことだからね。折れざるを得なかったみたい」
「おお~、カノンちゃんやったね!」

「しかし、兄にしてみたら、飼う事の大変さが身に浸みていたから」
「身に浸みていたって、以前に飼ったことあるの?」
「ウン、田舎の実家で犬を飼っていたんだよ。シェパードだったけど」
「あ、そうなんだ。じゃ、あなたも知ってる訳ね、その大変さは。それでね」
「そうなんだ、君は知らないだろうけど、犬を飼うって傍で見る程楽じゃないぜ」
「そうかしら」
「生き物の全てに通ずることだけど、厄介な面が多いよな」
「経験がないから分らないけど、そんなものかも知れないわね」
「確かに生き物から得られる、それ以上の癒しとか安らぎとかは実にありがたい」
「だから、みんな飼いたがるのよね。ブームになる位だもの」
「だが、そんな経験上、兄はカノンに飼う為の条件を付けて、くどいほど説明した」
「条件?犬を飼うのに条件?しかも娘さんなのよ」
「娘であろうと誰であろうと、生き物を飼うための絶対的条件だよ」
「絶対的条件?ちょっと大袈裟すぎない?何よその条件て」
「責任」
「責任?犬を飼う責任ってこと?」
「そう、社会的責任もそうだけど、犬を幸せにする責任だよ」
「幸せにする責任?なんていい響きなんでしょう。ああ、言って欲しいわ」
「アハ、『俺には君を幸せにする責任がある』ってか?話を外らすな」
「フフ、面白い」
「犬を飼うってことは、言わば家族になるってことだから、これは絶対条件だね」
「家族にする責任の重み?うん、分る。良く分るわ」
「だろう?兄はそれをくどくどと説明してた」
「例えばどんなこと?わかり易く言って」
「例えば散歩だとか食事だとか、お父さんやお母さんに頼らずに必ず自分でやる」
「……」
「健康面に気を使い、犬の幸せを第一に考えてあげる事」
「……」
「まだある。万一病気になったらどうするかを考えておくこと」
「小学3年生にそんなこと実行しろと?可哀想じゃない?カノンちゃんの反応は?」
「カノンは終始ニコニコだった。首を何度も縦に振って頷いてた」
「余程嬉しかったのねカノンちゃん」
「俺の顔を見ながら、手を強く握りしめてきた」
「『オジサマありがとう!』ね」
「兄は俺に会釈して、ニコニコしながらまた苦笑いだった」

「で、カノンちゃんは子犬を貰いにすっ飛んで行ったんだ」
「あはは、想像できるだろう?」
「うん、もう心ここにあらずよね。うん、うん、きっとそうよ」
「兄の話では、カノンのはち切れんばかりの笑顔が疾風と共に飛んで行った」
「フフ、上手い描写ね。カノンちゃんのルンルン気分が伝わってくるわね」
「それを見て兄は、何とも言えないホンワカとした幸せを感じたそうだよ」
「フフ、目に見えるようだわ。で、子犬の名前は何と付けたのかしら」
「ハナと名付けた。自分の名前から取ったみたいだね」
「あ、そうなんだ、可愛らしい、いい名前じゃない?オス?メス?」
「メス。兄はオスにしなさいと言ったそうだけど、気に入ってた子犬がたまたま」
「メスだった訳ね。カノンちゃんにしてみたら、そんなのどうでも良かった」
「オスとかメスは関係ない、要は『子犬が欲しい!』ただそれだけの思いだった」
「メスだと分ったから、名前をハナとつけたのかしらね」
「きっとそうだろうね」
「へえ~、何だかとっても心温まる話聞いたような気がする」
「ここまではね」
「ここまでは?何か意味ありげな顔つきね。それから何かあったの?」

「さっき君も言ってたけど、子犬って仕草がほんとに可愛いし、愛くるしいよな」
「動物の子供って皆そうよね。かわいくて仕方ない」
「しかし、生き物全て、年を重ねるにつれて段々と大きくなる」
「大きくなるにつれて、子供の時ほどの可愛らしい仕草が失われていく」
「と同時に、生き物たちに接する人間の心までも変化して行く」
「それは、ある意味仕方の無いことよね」
「カノンの場合も正にそうだった」
「ハナを飼い始めたのが小3だったわよね。そして1年経ち2年経ちして変化が?」
「飼い始めた頃は、勉強も手に付かないくらいの可愛がりようだった」
「分るわあ~。目に浮かぶよう」

「ところが、ついこの間の事になるんだけど」
「ええ」
「カノンが高校生になってからおかしくなってきた」
「えっ、何かあったの?」
「高校生になると、興味が他の方に移ったり、勉強に忙しくなる」
「塾通いもあったりして?」
「そうなんだよ、兄が顔を曇らせて言ったんだ『心配が的中してしまった』て」
「どういう心配ごと?」
「カノンが責任を放棄してしまったんだ」
「えっ、まさか全くハナの世話をしなくなったとか?」
「そうなんだ。これが悲劇の始まり」
「悲劇?」
「うん、猫と違って犬の場合、運動させないとダメなんだよな」
「そうね、良く言うわね。犬はいつも繋がれてるから勝手に運動出来ないわね」
「食事は両親が何とか面倒見れるけど、食事を与えただけではダメなんだよ犬って」
「うん、そうかも」
「忙しい二人にはハナの運動まではなあ、散歩する時間がなかった」
「付き合いきれなかったんだ」
「それでも兄は、過去の経験上放っておく訳にはいかないと思い」
「……」
「出来るだけ運動させなければと、早朝とか仕事から帰ってから散歩につれ出した」
「疲れた体にムチ打って、ハナに運動をさせてやったのね」
「だね、絶対的条件を約束させたものの、思春期に差し掛かった娘を思うと」
「そっかあ~、強く言えなかったのね。分るなあその気持ち」
「一応カノンには再三『責任を放棄するとハナが不幸になる』『後悔するぞ』と」
「言って『それでもいいのか?』と?」
「うん、まあそうだね。だが、兄にしてみたら虚しい思いの説得でしかなかった」

「さっき悲劇とか言ったけど」
「話が長くなるし、それに実に悲しい事になったから、結論を言うの嫌なんだけど」
「余程大変なことがあったのね」
「ある時、兄が久しぶりに散歩に連れ出そうと、犬小屋を覗いて愕然とした」
「えっ、まさかハナが死んでた?」
「も、同然と言ってもいいな」
「どうなってたの?」
「うん、ハナの後ろ足が立たなくなっていた。完全な運動不足だね」
「まあ、可哀想に」
「兄は必死の思いで足をさすってやったり、歩かせようとしたけど、………」
「……」
「兄は、痛烈な後悔の念と、申し訳ない事をしたという思いに駆られて天を仰いだ」
「……」
「と同時に、この事実を娘のカノンにどう知らせようかと悩んだ」
「……」
「そして、ある考えを実行しようと思った」
「ある考え?どういう考えだったの?」
「まず、やはりカノンには事実を直視して欲しいと思った。その上で」
「うん」
「今できる最高のやってあげられることは何かを考えさせることにしたんだ」
「カノンちゃんは、足の立たないハナを見てどういう思いだったのかしら」
「兄の話だと、見た途端に両膝を地面について、激しく泣きじゃくったそうだ」
「……」
「ハナに抱きついて、それはもう見ておられない程だったみたいだね」
「そう、可哀想」
「そしてカノンは涙を一杯浮かべて、お父さんの胸を激しく叩いて詫びたそうだ」
「……」
「『ご免なさい、ご免なさい』と何度も何度も叫んだそうだよ」
「……」
「兄はカノンの気持が治まるまで、カノンの肩をそっと抱いて、じっと立っていた」
「カノンちゃんのなすがままにしたのね。お兄さんの気持ちが伝わってくる」
「そして、カノンの目をじっと見つめて、静かに話し始めた」

「さっき言ってたことね」
「そう、今できる最高のやってあげられることは何かを考えさせることにしたんだ」
「カノンちゃんは?」
「痛々しく悲しそうな目でカノンの顔を見つめているハナを見て、また泣き出した」
「胸が張り裂けそうな思いだったのよね、きっと」
「そうに違いないね。何とも言いようのない悲しい出来事だからね」
「しかも、自分の責任放棄がもたらした事だと分っていたから、懺悔の思いよね」
「そして、カノンは自分なりに必死な気持で考えて、ある結論をだした」
「ハナの為に、今できる最高のやってあげられる事ね」
「そう、それを父親に告げた。どういう結論だと思う?」
「う~ん、カノンちゃんの出した結論?……う~ん、ごめんね、思い付かない」
「ハナは口では言わないけど、カノンには分るみたいだね」
「ハナの叫び?」
「そうなんだよ。ハナがどんなに苦しんでいるか、肌で感じて分るみたいだよ」
「長いお付き合いだったからね、そうかも」
「で、出した結論は、ハナが元通りに回復できるかどうか、近くの病院で診て貰う」
「うんうん、その方がいいわね」
「カノンは父親にそのことを告げて、早速ハナを病院に連れていって診て貰ったら」
「どうだったの?のぞみ有?」
「その期待は見事に裏切られてしまった。思いのほか重症だという事が分った」
「まあ、そうなの?」
「獣医は『このままではハナが可哀想だ』と言って、考えるように言われた」
「そうなんだ、いよいよ困ったわね」

「カノンは事の重大さに気づいて、急いで父親にそのことを告げた」
「お父さん何て言ったの」
「優しい顔でカノンにこう言ったそうだ『カノンはどうしたらいいと思う?』」
「カノンちゃん何と言ったのかしら」
「身体を小刻みに震わせながら、うつむいたまま暫らく考えていたそうだ」
「……」
「そして吹っ切れたように顔を上げた目から大粒の涙があふれ出して」
「……」
「お父さん、私『ハナの痛みを取ってあげたいから、病院の先生に任せる』」
「まあ、覚悟を決めたみたいね」
「それを聞いて兄は、カノンの手を強く握りしめて言った『偉い!最高の結論だ』」
「ごめん、私泣けてきた」

「今、ハナは兄の庭の片隅の墓の下で静かに眠ってる」
「……」
「カノンはハナのお墓に、毎日お花を添えて手を合わせてるみたいだよ」
「そう、辛かったでしょうね、カノンちゃん」
「兄が言ってた『ハナには可哀想な事をしてしまったけど得る物も大きかった』と」
「得る物?」
「うん『命の尊さや儚さを直に体得出来た。これは学校の教育では得られない』と」
「なるほど、貴重な体験だった訳ね」
「そうみたいだね」
「カノンちゃん今どうしてるのかしら、元気になったの?」
「時々俺に会いに来るけど、元気になって、すっかり高校生らしくなってきたよ」
「そう、それは良かったわね。ウン、ほんとに良かった、良かった」


親友のあだ名を犬の名前にしたアダ

「ちょっと面白くて傑作な話を仕入れてきたけど、聞く?」
「面白くて傑作な話?是非聞きたいわ。どんな話?」
「俺の友達のA君とB君の話なんだけど」
「同級生?」
「そう。幼馴染で仲のいい3人組だった。名付けてブルースリー」
「ブルースリー?どこかで聞いたような」
「あはは、あまり深く考えないのが美徳っていうもんだぜ」
「フフ、で?」
「二人とも結婚してるけど、俺だけが未だに結婚出来ていない」
「聞いてもいい?」
「うん?」
「どうして未だに結婚出来ていないの?」
「あまり深く考えないのが美徳っていうもんだぜ」
「あ~あ、いつもそうなんだから。肝心要のことは、このフレーズで逃げてる」
「あはは、別に逃げてる訳じゃないけど、便利なフレーズには間違いない」
「あきれた。それはいいとして、で?」
「A君には子供が一人、B君には子供はいない」
「念のために、二人の性格も教えて」
「どうして二人の性格が知りたい訳?」
「あなたとの違いを知っておきたいから」
「ん?ま、いいや。A君はどちらかと言うと真面目で気が小さいかな」
「Bさんは?」
「B君は一言で言うと親分肌だな」
「親分肌?まあ、怖そう」
「あはは、じゃ、とても面倒見のいい奴と言い換えようか」
「それなら分る」
「また話が横道に行きそうだから、先を続けるよ」
「フフ、お見通しね。はいはい、続けて」
「話っていうのは、最近A君の所で犬を飼うようになったんだって」
「はは~、子供にせがまれた口かな?」
「そうみたいだね。親は子供に弱いからなあ。子供の言いなりだね」
「で、その犬がどうかしたの?」
「驚くなかれ、犬の名前を『ジョン』という名にしたみたいなんだよ」
「どうして驚く名前なの?」

「A君の友人B君のあだ名が『ジョン』って言うんだよ」
「えっ、じゃあ犬にBさんのあだ名の『ジョン』と名付けたってこと?」
「そうなんだよ。俺もいつもB君と話する時は、ジョンちゃんと呼んでるんだ」
「Aさんは、どうしてその名前を犬につけたのかしら」
「俺も気になってA君に聞いてみたんだ。『どうしてなんだ』と」
「Aさん何と言ったの?」
「それがどうも曖昧な返事なんだよ。ニタニタして話をはぐらかすんだよ」
「へえ~、何か意味ありげねぇ」
「俺の考えでは、A君はB君に頭が上がらないと言うか、引け目を感じていた」
「引け目?どういう引け目?Bさんが親分肌だから?」
「うん、残念ながら何となくそう思うだけで、はっきりとは分からないんだ」
「じゃ、何か引け目があったとして、それがどうして犬の名前と結びつくの?」
「多分こうじゃないかな。犬を散歩に連れていったりした時なんかに」
「何となく分ってきた」
「犬のジョンに向かって『コラ、ジョン言うこと聞け、こっちだ』なんて」
「あはは、面白い。うっ憤を晴らしてる?あはは、笑っちゃう」
「A君は、B君に対する普段のうっ憤のはけ口をジョンに求めた」
「なるほど、無い事はないわね」
「食事を与える時『ジョン、食べ物を残すんじゃないぞ、分ったか?』なんてね」
「あはは、奥さんに当らない分良いとは思うけど、でもジョンが可哀想よね」
「『何でそこまで言われなきゃならないんだ』ってか?」
「そうよ、いくらBさんに引け目があるからって、そこまですることないと思う」
「ここまでは、ほんとのことは分らないし、いわば序の口」
「と言うと?」

「ある日、とんでもない事件が起こった」
「えっ、事件?穏やかじゃないわね。何があったの?」
「A君とB君は本人同士は仲がいいんだけど、家族同士の付き合いはなかったんだ」
「勤め人の場合は普通そうよね。家族同士の付き合いって余程のことでないと」
「ただ、奥さん同士は同じ町内会ということもあって、年に2回程度は会ってたから」
「あ、二人は同じ町内に住んでるんだ。あなたは?」
「俺は二人より一つ先の駅だから、住んでる地区が違うから当然町内会は違う」
「あ、そうか。……フフ ヨコミチニ サソイコンダ」
「駅が一つ手前なもんだから、三人で飲み会をした後、良く二人の家に行って」
「もしかしたら、泊まったりする?」
「独り者の気楽さだね、良く泊まった。帰りが決まって深夜だからなあ」
「まあ、奥さん大変ね。嫌われない?」
「顔では笑ってるけど内心は分らない。特にB君の奥さんは内心面白くないかも」
「まあ、だったら、泊まらなきゃいいじゃない。迷惑な話だこと」
「うん、俺もそう思うんだけど、そうしないとB君が機嫌悪いんだよ」
「あ~あ、面倒見がいいのも善し悪しね。だとしても強引に断ること出来ないの?」
「う~ん、出来ないことはないけど、どうもね」
「情けない。いくら友達だからって節度ってものがあるでしょう?」
「だから、必然的にA君の家に泊まることが多いんだよ」
「Aさんの奥さんて迷惑そうな顔しないの?」
「それどころか、いつ行っても大歓迎してくれる。内心は分らないけどね」
「へえ~、性格の違い?それとも家庭環境の違い?」
「A君の奥さんは凄くいい人だよ」
「へえ~、どんな人なの?」
「機知に富んでいて、茶目っ気たっぷりで、いつも大らかで冗談が好き」
「Bさんの奥さんは?」
「そうだなあ、凄く実直そうなんだけど、その分、かなり神経質な人かなあ」
「じゃ、どっちかと言うとあなたは、Aさんの奥さんの方がお気に入り?」
「だね。そう言えば、A君の奥さんは君に似たようなところがあるね」
「あら、そうなの?……キタキタ」
「何だよ、急に嬉しそうな顔をして」
「いえいえ、何でもありませんよ。続けて」
「でも、もし、A君の奥さんが未婚だとしても、結婚する気はないなあ」
「えっ、どうして?お気に入りじゃない訳?」
「気には入ってるし好きなタイプだけど、唯一、決定的に気に入らない所がある」
「へえ~、何だろう」
「俺より背が高い」
「えっ、そんなに背が高いの?」
「うん、学生の時バレー部だったらしいんだ」
「あ、そうなんだ、バレー部って体格のいい人が多いから。なるほどね。でも」
「どうして自分より背の高い人は嫌なのかと言いたいんだろ?」
「図星よ、どうして?」
「理由なんかないよ。嫌なものは嫌というだけ」
「はは~、男として、女性を見上げながら話するのが嫌なんじゃない?」
「う~ん、それもあるかもしれないけど、……分らない。とにかく俺は嫌だね」
「男性の人から良く聞く話よね。一つ聞いてもいい?……フフ ツイデダ イッチャエ」
「何だよ、意味ありげな顔つきして」
「女性の尻に敷かれて生活するのって嫌?」
「いや、それは別に嫌じゃないよ。むしろ俺はその方が良いと思うけど?」
「どうしてそう思うの?」
「……ヨコミチヲ フセゴウ。う~ん、何だろう、何となく居心地が良いて言うか」
「フフッ、曖昧な答えね。でも言わんとしてる事分る気がする」
「ハイ」
「話を元に戻します。じゃ、A旦那は奥さんよりも背が高い?」
「いや、低い。A君はそんなのあまり気にしないタイプみたいだね」
「結論、人はそれぞれで、お好きなようにってことね」
「どうもいけないなあ、君と話してると、話がいつも遠回りする」
「ふふ、いつものことだから、いい加減諦めたら?」
「ハイ。……です」

「ところで、何の話だったっけ?」
「奥さん同士は同じ町内会で、年に2回程度は会ってたってことだったろ?」
「でした。だから二人は面識があった。町内会の会合に出席することもあるわね」
「ま、その程度のことで、深い付き合いではなかったみたいだね」
「でしょうね。それも普通よ」
「当然A君の奥さんは、B君のあだ名が『ジョン』だなんて知る由がない」
「でもBさんの奥さんは知ってたんでしょ?Bさんのあだ名」
「勿論夫婦だし、周りから『ジョンちゃん、ジョンちゃん』と呼ばれてたからね」
「はは~、何だかプンプン臭ってきた感じ。B君のあだ名と犬の『ジョン』が?」
「へえ~、君にしては察しがいいね」
「失礼ねっ、『君にしては』は余計よ」
「あはは、ゴメン、ゴメン。ついほんとのことを言ってしまった」
「ま、あきれた。…もう、……で?」
「そうなんだよ。この事件は、B君のあだ名と犬の『ジョン』が絡んだ事件なんだ」
「それは分ったけど、それがどう絡んで、どういう展開になるのか、いまいちだわ」

「ある日A君の奥さんは用事で、2泊3日の予定で田舎の実家に行くことになった」
「良くある話ね」
「奥さんの田舎は、絵ハガキに印刷されるほどの風光明媚な所だそうな」
「はは~、奥さんはそこから自宅に絵ハガキを出した?」
「A君の奥さんとしては、綺麗な絵ハガキだし、家族宛に何となく出したくなった」
「うん、そういう気持ちになるって良くあるわよね」
「そして、奥さんは実家から帰り、また日常が始まった。そして、ある日のこと」
「……」
「A君の奥さんは、いつもネットで好きな紅茶を注文しているんだけど」
「うん」
「昼間だし、旦那も娘もいない。一人で紅茶を飲むのもつまらないなあと思ってた」
「うん」
「何故かその日に限って、フッと、B君の奥さんを誘うことを思いついた」
「一人で飲むより、二人で飲んだ方が楽しいし美味しい」
「そう思ったんだろうね、電話して誘ってみた」
「『ネットで美味しい紅茶仕入れたんだけど、一緒に飲まない?』とか何とか」
「B君の奥さんは、とても喜んで、暫くして訪ねてきたんだって」
「お互い初めてのことよね。家でお茶するなんて」
「だと思う。リビングのテーブルに、欧風のティーカップと茶菓子を置いて」
「うんうん、いいわね」
「町内会のことや世間話や愚痴のこぼし合いで、結構話が弾んだみたいだよ」
「女はペチャクチャが好きだから」
「旦那はいないし、女二人の気楽で楽しい会話が長く続いて、夕方になった」
「ついつい長居してしまうのよねえ」
「B奥さんが帰る段になり、A奥さんが『ちょっと待って』と台所に消えたんだ」
「うん」
「A奥さんはB奥さんに、手土産を渡そうと考えたらしいんだ」
「うん、なるほど、ちょっとした心遣いね」

「リビングでA君の奥さんを待ってる間、初めて訪れた家の中を何気なく見渡した」
「そうよね、初めて訪れた物珍しさよね。誰でもそうするわよね」
「テレビの横の飾り棚の所に目が行った時、一枚の絵ハガキがあるのを見つけた」
「Aさんの奥さんが、田舎の実家から出した家族宛の絵ハガキね」
「そう。B君の奥さんは悪いと思いながらも、その絵ハガキを手にした」
「綺麗な風景の絵ハガキだったんでしょ?」
「実はこの絵ハガキが事件を引き起してしまったから、分らないもんだねえ」
「えっ、絵ハガキ事件?」
「しばらく絵ハガキの写真を見て頷いた後、いけない事とは思いながらも」
「……」
「下の方の文面を凝視した時、急に手が震え、顔面蒼白になり、目が引き吊り」
「えっ、脳梗塞?それとも脳溢血?」
「A奥さんが手土産の袋を持ってリビングに現れた時の、B奥さんの形相を見て」
「ただ事ではない?」
「何事かと思いB奥さんに近づこうとした時『来ないで!汚らわしい』と鋭く叫び」
「まあ、怖い」
「そして、手土産を受け取るどころか、放り投げるようにして玄関から出て行った」
「事件勃発ね!……事件の火種を手土産に飛び出した。さあ、大変な事になる予感」
「A奥さんは状況が全く呑み込めず、ただ突っ立って見送るしかなかった」
「……A奥さんの狐につままれたような姿が目に浮かぶわ」
「床に放り落とされた絵ハガキを拾い、目を通し首をかしげながら元の所に置いた」
「その絵ハガキが事件を引き起してしまったと?」
「そうなんだよ、絵ハガキだよ」
「絵ハガキの文面?」
「そう。田舎から家族宛に出した絵ハガキだよ。どういう文面か知りたい?」
「当然よ、何を勿体ぶってるのよ、事件に絡んだ絵ハガキだったら知りたいわよ」
「次のような文面だったようだ」

親愛なる旦那様とわが愛する娘へ

田舎に帰って考えたことがあります
今迄ひとことも言ってなかったけど
今日はとても重大な告白をします
実は、私はいつの間にか
ジョンの虜になっていることに気づきました
今、目の前の景色を眺めながら
愛するジョンのことを思っています
一度でいいから ジョンをここに連れて来て
一緒にこの素晴らしい景色を眺めたい
もう一生離れられない思いで一杯です
どうか、この思いを察して下さい
ジョンは私の宝です

最後に ジョン愛してるわ!  明日帰ります

「A奥さんは、さっき言ったように、茶目っ気たっぷりで、冗談の好きな人だから」
「あはは、面白おかしく書いたつもりなんだ」
「読んでも別に変なところないだろ?」
「そうよね、少し大袈裟だけど、犬のジョンのことを書いてる訳だし、普通よね」
「ところがB君の奥さんは旦那のジョンと、A君の奥さんが出来てると勘違いした」
「フフ、面白い、傑作だわ。で、その後どうなったのかしらね」

「それはもう大変な騒ぎさ」
「でしょうねえ~」
「B君が会社から帰宅した。玄関で待っていたのは奥さんの形相」
「鬼の形相?」
「目が引き吊ったその凄い形相でB君を見詰め『今までどこ行ってたのよっ!』」
「帰りが遅かったんだ、Bさん」
「『残業で遅くなった。夕食済ませてきたからいいよ』と言った途端に、追い打ち」
「『よくもヌケヌケと嘘がつけるわね。今日という今日は騙されないわよ』と?」
「多分そんなことだろうな。いつも笑顔で出迎えてくれる妻の様子がおかしい」
「うんうん、で、Bさんは?」
「B君は『どうしたんだよ、そんな剣幕な顔をして、何があったんだよ』と尋ねた」
「『どうもこうもないわよ、もうあなたの話聞きたくないからこれにサインして』」
「えっ、もしかして離婚届?いくらなんでもそれはないだろう」
「この奥さんだったらあり得るわよ。Aさんの家を飛び出して、その足で」
「いや、その日はそうはならなかったみたいだけど、ま、とにかく大騒動」
「事情が呑み込めないBさんの困った顔が目に浮かぶわね」
「人って一度信用できないことがあると、何もかも嘘に塗り潰されて見える」
「そうよね、確かに」
「B君の一つ一つの言葉とか行動全てを、疑ってしまうようになってしまう」
「悲しい人間の性よね」
「日を追うごとに、事態が段々険悪な状態になって行って、どうしょうもない」
「奥さんの頑なな気持ちがそうさせるのよね」
「俺達が想像する以上に、実際には凄まじいやり取りがあったと思う」
「そうでしょうね。想像に余りあるわね」

「とうとう、奥さんから離婚の話まで出て、さすがのB君もお手上げ」
「でも、事の経緯をちゃんと話し合いすれば、分りあえる筈じゃない?」
「冷静になって話し合えばだろう?B君の奥さんの性格がそうはさせなかった」
「そういえば神経質だとか言ってたわよね。奥さん思い詰めてしまったんだ」
「ところが一週間くらい過ぎた、ある日曜日の朝のことだけど」
「ええ」
「奥さんの発した痛烈な一言を聞いて、B君はピンときたらしい」
「痛烈な一言って?」
「『私に隠れて、Aさんの奥さんと不倫してたなんて、私絶対許せない!』」
「あ~あ、極悪のヒステリックな叫びね」
「誰でも思い詰めたらこんなもんだよ。君だってそう言うと思うよ」
「そうね、冷静な状況判断なんて無理だし、男と女のこととなると特にね」
「特に尻に敷かれた男は、実に情けない事態になる」
「フフ、愉快!……で、Bさんのピンときたことって?」
「A君の奥さんのことが、奥さんの口から飛び出して来てびっくりした」
「うん」
「B君は奥さんが、A君の奥さんのことを何で知ってるのだろうと疑問に思った」
「それもそうよね。たまに会ってたなんて知る由がないわよね」
「で、奥さんを問い詰めた。『A君の奥さんのことを何で知ってるんだ』と」
「奥さんどう答えたのかしら」
「ヒス状態の奥さんは『そんなの聞いてどうするのよ、話す気なんてないわ』」
「取りつく島がないと言うのはこのことね」
「そこでB君は言ってみた『もしかしたら君は、A君の家に遊びに行ったのか?』」
「鋭い質問ね」
「売り言葉に買い言葉。奥さんの一言は『そうよっ、遊びに行って何が悪いの?』」
「その一言で、Bさんは問題の糸口がつかめたのね?」
「そこからのB君の取った行動は早かった」
「……」

「B君はすぐ受話器を取り上げ、A君に電話して、これからそちらに行くと告げた」
「日頃良くある事でしょうから、Aさんはいつものように喜んで快諾した」
「そして、B君が訪ねて来て、事の経緯を聞いてA君夫婦は少なからず驚いた」
「全く身に覚えの無い事ですものね。驚くのも当然よね」
「B君はA君の奥さんに、一週間前ぐらいのことを詳しく話してくれるよう頼んだ」
「原因を探ろうとした訳ね」
「奥さんは、その時のことを詳しく話した。特に絵ハガキを見た直後のくだりを」
「絵ハガキを見て、暫くして奥さんの様子がおかしくなって」
「最後に、B君の奥さんが血相を変えて飛び出していった」
「どうして急に飛び出していったのか、未だに分らない旨を語ったのよね、きっと」
「B君は『良かったらその絵ハガキを見せて貰えませんか?』と言った時」
「ん?」
「旦那のA君の顔色が変わった。これはヤバい事になりそうだと直感した」
「あ、そうか、Bさんは、犬の名前がジョンだとは知らなかったんだ。ヤバい!」
「そうなんだよ、A君の慌てふためく様を見て、奥さんは怪訝な顔をして」
「『あら、あなたどうしたの?あの絵ハガキ何処に置いてある?』」
「大きな猫が小さなネズミに襲いかかる」
「『あ、あれは、えーと何処にしまったかなあ』と、とぼけるA旦那」
「フフ、ネズミが猫をかぶってる。Aさんの隠れる穴を掘ってあげたい」
「奥さんはB君に『Bさんご免なさい、探してきますから少し待ってて下さい』」
「もう、ダメね。行くとこまで行くしかないねAさん」
「暫らくして、絵ハガキを手にして奥さんが戻って来た」
「いよいよね。テレビだったら、この結末は来週のこの時間までさようなら、ね」
「B君は奥さんの手から絵ハガキを受け取り、文面を見てケタケタと笑いだした」
「えっ、ウソ!私が想像したシーンと違うわ」
「B君は、ある程度奥さんの性格が分っていたから、笑ってしまったんだよ」
「うん、それから?」
「B君は奥さんに尋ねた。『奥さん、このジョンと言うのは誰のことですか?』」
「あら、意外な質問ね」
「奥さんは『どうして?』っというような顔で『うちの犬の名前ですけど?』」
「『それがどうかしましたか』と言うような顔よね。フフ」
「B君は『なるほど』と納得したような顔になり、今度はA君に向かって尋ねた」
「ああ~、いよいよヤバイ、Aさんどうする?」
「『この文にあるジョンと言うのは?』」
「後でB君から聞いた話だけど『この時のA君の顔を見せてあげたかったよ』」
「あはは、目に浮かびそう」
「最後に『どうして俺のあだ名を犬の名前にしたんだ。良かったら教えてくれ』」
「A君は即座に回答した。『君が傍にいてくれると、何となく安心するんだよ』」
「まあ、言う事にこと欠いて、良くも言えたものね。でも、上手く逃げたわね」
「B君はA君の思いは察しがついていたが、何も言わずに笑っていた」

「目の前に横道があるんだけど、入ってもいいかしら」
「またかよ、手短にな」
「はい。あのね?わたし、Bさんて意外としっかりした、素敵な方に思えてきた」
「うん、彼は大企業に勤務してるけど、彼の能力が高く評価されているそうだよ」
「へえ~、凄いじゃない。まだ若いのに?」
「彼の魅力は、人間的な面もあるけど、何と言っても凄い努力家だからね」
「そうなんだ」
「学生の時の成績もいつもトップクラス。相当な才能の持ち主だよ」
「そうなんだ。ずば抜けた才能の持ち主の上に、さらに努力家なんだ。偉いわねえ」
「偉いよな。学校の成績がいくら良くても、実社会で成功するとは限らないからな」
「そうよね、Bさんて『努力に勝る天才無し』を地で行ってるような人ね」
「俺も見習いたいと思う」
「そっかー、あなたのすぐ身の回りに、そんな凄い人がいるなんてね」
「だから、少々の事ではびくともしない腹がある。彼は常に沈着冷静な言動だね」
「なるほどね、道理でねえ~」
「近い将来、間違いなく、今の会社の重要なポストに就くと思うよ」
「素敵な友人を持って良いわね」
「彼は俺の誇りだね」
「そんなBさんだったから、この絵ハガキ事件も無事に解決したのかもね」
「うんうん、いいこと言うね。その通りだと思う。他の人だったらそうはいかない」
「あたしも同感!他の人だったら、切った張ったの地獄絵巻になってたかもね」

「そもそも、この問題は、A君のくだらない思いが端を発した訳だからなあ」
「あ、分った。AさんのBさんに対する引け目って、そのことじゃない?」
「うん、良くは分らないけど、かもしれないね」
「あなたはBさんに対して引け目ってあるの」
「いや、B君が俺に対して引け目があっても、俺は全くない」
「嘘だあ、優秀なBさんが、あなたに対して、引け目なんてある訳ないと思うけど」
「ほんとのことはB君に聞かないと分らないけど、あるとすれば顔とスタイルかな」
「でた~。顔とスタイルがBさんより勝ってると?フフ、あきれた」
「何だよその言いぐさ。いいだろ?俺がそう思ってるんだから。あはは、いい気分」
「はい、はい、勝手に思えばいいわよ。でも良く見ると、顔とスタイルは私好みよ」
「あはは、お世辞と分ってても嬉しいもんだね。ありがとう!」
「それにしても、この絵ハガキ事件、とても面白かった」
「まさかの展開になって今頃A君は、あだ名をジョンにした事を後悔してるよ多分」
「でも大いに楽しませて貰ったわ。その意味ではAさんにお礼を言わなくっちゃね」

「それからの話聞きたくない?」
「あ、そうよね。Bさん夫婦グチャグチャのグチャグチャだったからね」
「B君は、取り乱した奥さんの心を解きほぐすのに、相当苦労したみたいだね」
「そうかもね~、分るわ~」
「どうなったと思う?」
「あの聞く耳を持たない、ヒス妻さんのことだからねえ~、Bさん万事休す」
「そう思うだろ?B君の偉いところはこれからだよ」
「あ、そうなんだ。聞きたい」
「奥さんは、B君が電話してA君の家にすっ飛んで行ったのを目の当たりにして」
「奥さんが『そうよっ、遊びに行って何が悪いの?』と叫んだ後の行動よね」
「旦那の素早い行動を見て奥さんは、何だろうと気にはなってたんだね」
「Aさんの家でのことを知りたいと思うわよね」
「日も経ってるし、奥さんの心にも少しは冷静さが戻って来ていた」
「そうかも」
「B君は奥さんが心穏やかになるのを待って、絵ハガキの意味をじっくり説明した」
「うん」
「すっかり絵ハガキの意味が呑み込めた時の、奥さんの顔を想像できる?」
「それまで自分が旦那さんに対してとってきた言動を反省して、詫びを入れた」
「いや、そうは簡単なことにはならないのが、この奥さんの悪いところかもな」
「えっ、まあ、まだ信じられないと言うの?」
「うん、旦那に言われて、奥さんはA君の家に電話して、本当かどうかを確かめた」
「わあ~、そこまで旦那さんを信じられないなんて、信じられない!」
「旦那の言った事が本当だと分って、そこで初めて自分の恥を認めたみたいだよ」
「なんとまあ、往生際の悪い奥さんねえ~」
「いや、俺は奥さんの気持ちは良く分る。人間なんてそんなもんだよ」
「ん?そうかしら」
「奥さんは根は良い人だし、旦那を愛してればこその思い違いだから許せる範囲だ」
「へえ~、あなたって凄く寛大なんだ」
「いや、そうじゃないよ、人間だれしも勘違いや思い違いはあるってことだよ」
「それはそうよね」
「それを許せるかどうかの問題だから、俺はこの場合は許せる範囲だと思うって事」
「それに『夫婦喧嘩は犬も食わない』って言うし、外野席からとやかく言ったって」
「ジョンにしたって迷惑な話だよな」
「ふふ、言えてる」

「ところが、この後が面白い」
「えっ、まだ何かあるの?」
「B君の転んでもただでは起きない、親分肌の真骨頂が爆発した」
「まさか、仇討ちじゃないでしょうね?」
「う~ん、そう言ってもいいかもな」
「Bさん、奥さんに対して何かしたの?奥さんを殴ったとかはないでしょうね」
「あはは、心優しいB君だよ?何てことを言うんだよ」
「だって、仇討ちって言うから」
「じゃ、そうじゃなかったら何だと思う?」
「今までの2人の言動と結末、それと親分肌の真骨頂を結びつける?……分らない」
「ずばり、B君は離婚の話を持ち出したんだよ」
「えっ、ウッソー、嘘でしょ?」
「ほんとさ。半分は本気だったみたいだけどね。幸いに子供もいないし」
「……」
「この際、奥さんの本当の気持を、確かめておこうと思ったみたいだね」
「なるほど、奥さんの答えを聞いた上で、今後の事を考えようと思った訳?」
「そのようだね、B君は絶好の機会が訪れたと、本気で思ったみたいだよ」
「絶好の機会?」
「何処の夫婦もそうだと思うんだけど、夫婦って空気みたいなもんで波風立たない」
「退屈しそうな平々凡々の毎日」
「そこに降って湧いたようなこの事件だろ?今後の夫婦の事を考える絶好の機会」
「なるほど、なるほど。Bさんはそう考えた訳だ」

「後は蛇足になるから言わないけど、B君の話では困ったことが起きてるそうだよ」
「あら、一難去ってまた一難?」
「でもないけど、夜の営みが」
「えっ、夜の営みって?」
「あはは、知ってるくせに、猫を被るのが得意みたいだね」
「フフ、バレバレ、……で、夜の営みがどうしたの?」
「うん、奥さんが今までと違って、夜な夜な相当激しく迫って来るみたいなんだ」
「ちょっとお聞きしますけど、男の人って普段そんな話までするの?」
「あはは、いくら友人同士でも普段はしないなあ。今回は事件がらみだから特別」
「ああ、良かった」
「オイオイ何を想像してるんだよ」
「あ、いえいえ、何でもありません。続きをどうぞ」
「俺の考えだけど、奥さんには、ある考えが浮かんだんだと思う」
「ある考え?はは~、何となく女の勘で分るような気がする」
「言ってみて」
「子供が授かるように、一段と努力する。でしょ?」
「違うかなあ、あの時は自分から言い出した離婚の話が、逆に旦那から言われて」
「そそ、これはヤバい子供がいたら離婚されないと考えた」
「多分そうだな。こればっかりは奥さんには聞けないからなあ」
「フフ、……聞いてみたら?」
「あはは、あはっは、面白い。あっさりと『ええそうよ。何が悪いの?』って?」
「アハハ、面白い、面白い」
「だけど、いくら夜の営みが激しくても、子供が出来る保証はないからなあ」
「そうよね、もうとっくに授かっていても良い筈だしね」
「それに、子供がいても離婚してる夫婦なんて、五万といるからね」
「それもそうよね」

「ま、そういう訳で、B君の努力で元の鞘に治まったどころか」
「……」
「以前よりましてオシドリになってる」
「そっか~。良かったわねえ。それもある意味、Aさんのお蔭じゃない?」
「なるほど、そういう見方もあるな」
「でしょ?Aさんに言ってあげたほうがいいかも。でなきゃAさん可哀想よ」
「そうしよう。ところで、オチがあるんだけど聞く?」
「聞く聞く、何?」
「かのB君の奥さんさ」
「うんうん、毎晩激しく燃えた奥さん。聞こうと思ってたの。どんな様子なの?」
「今じゃ、A君の家にちょくちょく遊びに行って、お茶してるみたいだね」
「Aさんの奥さんには、感情のしこりってなかったのかしら?」
「ほら、ああいう性格の人だから、あっけらかんとしたもんだよさ」
「何事もなかったようにね。そうなんだ、良かったわねえ。万事円満解決ね」
「B君の奥さん、行く度にジョンと対面して『好きよ!愛してるよ!』って頬ずり」
「あら、まあ、ジョンを旦那さんと思ってる」
「違う違う。犬の神様に、子供が授かるように懇願してるのさ」
「犬の神様?授かるのかしら?」
「『犬も歩けば棒に当る』ってね」
「棒に当る?」
「そう、棒に当る。良い響きだねえ」
「えっ、ジョンはオス?……そうよね名前からしてそうよね」
「オイオイ、また何を想像してるんだ?」
「フフ、楽しい。…棒に当る。ほんと良い響きだこと、私当りたい!………ウッフ」
「それにしても、複雑怪奇、女って分らないねえ」
「えっ、今何か言った?」
「イエ、何も。独り言です。ハイ。……オンナハ ワカラナクナルクライニ ステキデス」


知らぬは人間ばかりなり

「君は健康のために何か運動してる?」
「良くぞ聞いて下さいました。この美形を保つ為に、時々ジムに通ってるわよ」
「スポーツジム?」
「似たようなものだけど、少し違うかな」
「そうなんだ。ということは、君のスタイルはジムで作られているんだ」
「ジムで作られているって言って欲しくないなあ、何だか機械人間って感じ」
「いやいや、どうしてどうして、均整のとれたナイスバディだよ」
「ありがとう!」
「でも、何だか相当お金が掛ってるみたいに見えるけど、どうなの?」
「確かにそうね。だから悩んでるのよ」
「どういう悩み?」
「スタイルを維持したいからって、いつまでもお金かける訳にいかないのよねえ」
「ジムに通わなくなったら、体系崩れる?」
「そう思うから、悲しいかな無理に通ってる面もあるのよね」
「なるほど、悩ましいね」

「そう言うあなたは何かしてるの?」
「俺?俺はただひたすらにウォーキングと軽いスクワット」
「あら、そうなんだ、知らなかった」
「女性と違って、男はスタイルにはあまり興味ないなあ」
「えっ何で?あなたも結構悪くない体形だけど、それを維持する為に運動じゃ?」
「いや、それは違う。結果としてそうなってるだけのことだよ」
「じゃあ、ウォーキングとスクワットの目的は?」
「体力の維持と健康増進の為」
「同じことじゃない?」
「全然違うよ。目的が違うと結果も違ってしまうだろ?」
「そうかしら、言ってる意味が分らない」
「それはいいけど、君もウォーキングとスクワット始めたら?いいと思うよ」
「何がいいのかしら」
「ま、結果はともかくとして、いろんな利点がある」
「どんな?」
「まず、お金がかからない。自分の好きな時にいつでもできる。時間に制約がない」
「なるほど、お金の点では、今の私の悩みはまず解決ね」
「最大の利点は、君の場合で言うと、今の君の体形を確実に維持出来る点かな」
「えっ、ほんと?なんだか確信を持ってるみたいだけど」
「れっきとした根拠があるんだよ。但し、継続して実行すればの話だけどね」
「それを聞いたら、ジム通いを明日からでも辞めたくなった」
「その方がいいよ、それよりお金の無駄遣いは止めて、将来の為に貯蓄したら?」
「いい話聞いたわ、考えてみるね」

「今日話したかったのは別な事なんだよ」
「どんなこと?」
「ウォーキングと関係はあるんだけど、結構面白い話だと思う」
「聞きたいわね。どんな話なの?」
「俺は通勤時間の関係もあって、何時も早朝にウォーキングするんだけど」
「参考までに教えて、早朝って何時頃?」
「季節によって違うけど、だいたい6時頃から一時間程度」
「ええ~、そんなに早くから?」
「驚くほどのことじゃないよ、夏は早い人は、5時半頃からやってる人もいるよ」
「へえ~、そうなんだ。一年通してその時間帯?」
「ま、日の出の関係で季節によって、夕方とか夜間になる時もあるけどね」
「夜間も?」
「そう、蛍光たすきを巻いて懐中電灯を照らしながらウォーキング」
「まあ、そこまでしてウォーキング?」
「それぞれ目的があってやってるから、いろいろなスタイルがあっていいと思うよ」
「真冬も?」
「だよ、雨とか雪が降らない限りやってるよ」
「へえ~、驚いた。そんな根性があったなんて見直したわ」
「あはは、根性と来たか。だけど、俺なんかまだまだ努力が足りないかも」
「ん?」
「雨の日でも、傘差してやってる人もいるよ」
「ほんと?雨の中をウォーキング?凄いわねえ~」
「うん、やるなあと思う」

「で、面白い話っていうのは?」
「ウォーキングしてると、いろいろな事を目にするんだよな」
「例えばどんな事?」
「ウォーキングスタイルが老若男女、人それぞれだし、夫婦揃って歩いていたり」
「あら、羨ましい!」
「音楽聞きながらとかね、ま、人間模様と言ってもいいかもな。結構楽しめるよ」
「そうなんだ、で、面白い話っていうのは、その中の一つってこと?」
「だね、ある朝ウォーキングしてると、ある場面に出くわしたんだよ」
「どんな場面?」
「何だか妙に可愛い犬を散歩させてる人を見かけたんだ。後姿が女の人だった」
「うん」
「余りに愛くるしい犬なもんだから、後ろから、ついつい声をかけてしまった」
「何と言ったの?」
「『おはようございます。いやあ、実に可愛い犬ですね』と」
「そしたら?」
「そしたら女の人がびっくりしたように振り向いて」
「……」
「『あ、おはようございます。ありがとうございます』と嬉しそうに笑顔の返事」
「誰でも愛犬を誉められたら、悪い気はしないわよね」
「振り向いた女の人の顔を見て少し驚いた。ちょっと魅力的な人だった」
「歳は幾つくらい?」
「そうだなあ、幾つぐらいだろう、中年のおばさんだけど、40歳前後かなあ」
「それから?」
「ついでに聞いてみたんだ『犬の名前は何と言うんですか?』と」
「うんうん、何と言う名前だった?」
「そしたら、『サクラと言います。丁度桜の咲く頃に主人が貰ってきたんです』」
「あら、可愛らしい良い名前じゃない」
「で『いい名前ですね。突然声かけてすみませんでした。失礼します』と別れた」
「あ、な~んだ、それだけのこと?」
「話は最後まで聞くもんだよ」
「あ、はいはい、ごめんなさい」
「で、別れ際にサクラちゃんに向かって、『サクラちゃん、またね』と言ったら」
「えっ、またねはないでしょう?……で、言ったら?」
「可愛い尻尾を振り振り歩いて行った。それがまた可愛くて、しばし見とれてた」
「それで終わり?面白くも何ともないじゃない」
「君の悪い癖だよ、話は最後まで聞くもんだよ」
「あれ、また言われちゃった。ですね、はい。続きをどうぞ」

「そんな出来事ってすぐに忘れてしまうから、暫くまた元の日常に戻ったある日」
「またサクラちゃんに会えた?」
「そうなんだよ、歩いて近づいてくる俺の方を向いて、奥さんの方から会釈された」
「咄嗟に『あ、この前はどうも失礼しました』と型通りの挨拶をした」
「奥さん、あなたのことを良く覚えていたわね」
「奥さんは恥ずかしいそうな素振りで、犬の方に向いて『ほら、ご挨拶しなさい』」
「えっ、言葉分るの?」
「バカだなあ、目のやり場に困った時、良くやる手じゃないか」
「あ、なるほど」
「俺もすかさず、『サクラちゃんおはよう、相変わらず可愛いね』と、声をかけた」
「ふふ、サクラちゃん喜んだでしょう」
「この前と違って、俺の方に近づいてきて、尻尾を振ってくれたんだよ」
「へえ~、人懐っこい犬ねぇ~。嬉しかったでしょう?」
「うん、だね。奥さんの方を向いて『サクラちゃんに、また会いたくなりました』」
「えっ、そんなこと言ったの?まあ、あきれた。ほんとは違うんじゃない?」
「何が?」
「サクラちゃんじゃなくて、奥さんと会いたいという意味じゃないの」
「あはは、君って素直じゃないねえ~。……あ、でも、……多少はあるかも」
「フフ、正直でよろしい。で、その場はそれで別れたんだ」
「まだ、面白い話になってないね。だろ?」
「あはは、お見通しね。今言おうとしてた」

「サクラちゃんとは、そんなに頻繁に会えるとは、全然思ってなかったんだよ」
「どうして?」
「ウォーキングは、曜日ごとにコースが違うんだよ」
「毎回同じコースを歩いてるんじゃないの?」
「違う違う、毎回同じじゃ飽きるじゃない。だから曜日ごとに違うコースにしてる」
「そうなんだ、じゃ7パターン?」
「そうだね。だから、サクラちゃんと会えるチャンスは限られてくる」
「それに全く同じ時間に、ウォーキングしてる訳でもないでしょうしね」
「そうなんだよ。5分も違えば、もう別な場所だもんな」
「じゃ、もうそれっきり会えなくなったの?」
「そういうことだね。まだ、面白い話になってないね」
「その言い方だと、続きがありそうね」

「それから随分と経過したある日の朝、期待外れの出来事が起きた」
「期待外れの出来事?」
「その日は、ある考えが浮び、つまり意図があってたまたま違うコースを歩いた」
「設定してる予定の曜日のウォーキングではなかったんだ。別のコース?」
「そうそう、と言うより、最初に出会ったコースを歩いてみたんだ」
「なるほど、そしたら?」
「出会ったんだよ」
「サクラちゃん?」
「そう、遠目にはっきりとサクラちゃんと分る犬を発見。ところが」
「ところが?」
「犬は絶対に、間違いなくサクラちゃんだと確信したんだけど、連れが違ってた」
「えっ、例の奥さんじゃなかったの?」
「そうなんだよ、男の人だった。段々近づくにつれて、はっきりと分かった」
「誰だったの?」
「誰かは分らない。親戚の人かも知れないしね。でも思うに、あの人は旦那だね」
「年恰好からそう見えた?」
「間違いないね、近くを通り過ぎる時に、顔をチラッと見て、がっかりした」
「えっ?」
「体格は小柄で小太りだし、お世辞にも褒めた顔じゃないし」
「そこまで言う?」
「あれだけ魅力的な女性が、どうしてこういう男性と?」
「ふふ、良くあるパターンよ。あなたも日頃から良く言う癖に」
「えっ、何と?」
「『男は顔やスタイルじゃない心だよ』とね」
「あは、一本取られてしまった。確かにその通りでした。ま、それは良いとして」
「サクラちゃんのことでしょ?」
「そうなんだよ、俺の方を見て、しきりに尻尾を振るんだよ」
「あ~あ、正体がバレてしまった」
「男の人は首をかしげていた。俺は知らぬ顔して素通りせざるを得なかった」
「サクラちゃん思ったかもよ『冷たい人ね』って」

「そこで俺はある計画を思いついた」
「どうも感心しない計画って感じが、プンプン臭うんですけど」
「うん、感心しない計画かも知れないけど、実行してみて驚いた」
「えっ、驚くことがあったの?」
「一週間同じコースを同じ時間に歩いてみたんだよ」
「あなたのやりそうなことね、ったく。で、何が分ったの?」
「曜日ごとのローテーションが明らかになった」
「へえ~、それは驚きね。どんなローテーション?」
「なぜ分ったかと言うと」
「うん、俄然、興味が湧いてきた」
「水曜日に同じコースを歩いたら、サクラちゃんの連れが、今度は若いお嬢さん」
「あ、そうなんだ」
「しかも、凄くスタイルのいい、綺麗なお嬢さんだった。多分高校生くらいかなあ」
「お母さん似?」
「うんうん、きっとそうだよ。ほんと抜群に美しい女性だった」
「通り過ぎる時サクラちゃんは?」
「あは、またも『冷たい人ね』といわれそうだった。お嬢さんも首をかしげていた」
「それは水曜日ね。木曜日は?」
「多分水曜日のお嬢さんの妹さんだな、きっと」
「誰に似てた?」
「そうだな、お父さん似だな」
「と言うことは、サクラちゃんを入れて5人家族?」
「という事になるね。」
「月曜日がお父さんで火曜日がお母さん。水曜日が上のお姉さん。木曜日が妹さん」
「多分そんな感じだね」
「金、土、日は?」
「お父さんが抜けて、3人の担当ってとこだね」

「質問があるんですけど」
「何?」
「家族のローテーションが分り、あなたは火曜日に、お目当ての女性のコースを?」
「ははは、お目当てねえ~」
「白状したら?」
「サクラちゃんに会いたい気持ちもあるし、誘惑に駆られる事は正直なところある」
「うん」
「だけど、偶然に会うことは許されても、それ以上は良くないと思い、止めました」
「やっぱり、あなたは男の中の男ね。惚れ直したわ」
「あは、フー良かった。答えようによっては、何を言われるか分ったもんじゃない」
「ヤレヤレ、聞くのもハラハラして疲れるわね」

「後日談があるんだけど聞く」
「えっ、後日談?話し終ったんじゃないの?」
「最初に面白い話と言った以上、ここで終わる訳にはいかない」
「あら、結構面白かったわよ。後日談てどんなこと?」
「これは先日火曜日の女性、お母さんだね、から聞いた話なんだけど」
「ええ」
「ある日家族4人がそろって朝食してた時に、子供が変なことを言い出したんだって」
「変な事?」
「サクラちゃんは人懐っこい性格で、誰にでも愛想が良いけど、一人だけ特別な人」
「はは~、あなたのことよ。あなただけには、特別に愛想が良いという事でしょ?」
「そうなんだよ、長年散歩させてるから良く分るんだって」
「で?」
「『あのオジさん誰だろ』と言うと『そう言えば俺もある。お前は?』と奥さんに」
「アラ、ヤダ。お父さんまで?奥さん大変」
「あはは、奥さんはとぼけて『サクラは分るのよね。余程良い男だったみたいね』」
「奥さんはサクラの顔を見ながら話した。そしたらサクラが『ウン』と頷いた?」
「頷きはしないだろうけど、ま、そういうことだろうな」
「お母さんステキ!……フフッ、名コンビね」

「奥さんは、この話を俺にする時に、何とも言えない、とても幸せそうな顔だった」
「サクラちゃんの功績大よね」
「犬の存在ってこうあるべきかもね」
「とても面白い話だったわよ。ありがとう」
「サクラちゃんは、多分、こんな事を言いたかったんじゃないかなあ」
「どんなこと?」
「『絆とか愛情をひしひしと感じられるような、そんな家族であって欲しい』とね」

「あの、ちょっと別な件で、教えて欲しい事があるんだけど、いい?」
「うんいいけど、どんなこと?」
「ウォーキングとスクワットの件なんだけど」
「うん、どういうこと?」
「話ながら、頭の中をぐるぐる回ってる思いがあるのよ」
「ん?何?」
「私もすぐにでもジム通いをやめて」
「うん」
「ウォーキングしようかと思うんだけど、いろいろ教えて欲しいと思って」
「ふ~ん、何だか動機が不純にも思えるけど」
「動機が不純?」
「ウォーキングしながら、犬と散歩してる男性を探す気になったとか?」
「ふふ、そうかも。……違うわよ、もう。この美形を、お金を掛けずに保つ為よ」
「あ、そうか、さっきもチラッとそんな話したね。断然オススメだぜ」
「自信たっぷりね」
「いや、別な意味もあるんだ」
「別な意味?」
「ウォーキングしてる時、女性がランニングしている姿を見かけるんだよ」
「あら、そうなの?」
「たまにだけどね。何故かいつも黄色いシャツ着てて、凄くカッコ良く見えてね」
「うん」
「すれ違いに、軽く会釈してくれるんだよな。それがまたカッコいい」
「まあ、すっかりお気に入りね」
「思わずこちらも会釈したり、何故か敬礼のポーズで応える。不思議な感じだね」

「別な意味と言ったけど」
「いや、その姿と君の姿がダブってしまって、いつも君だったらいいなあと思って」
「あら、凄く嬉しいこと言ってくれるじゃない?だから断然オススメって?」
「あはは、ま、そうなんだよ。ウォーキングじゃなくてランニングだけどね」
「やってみないと分らないけど、ジムで鍛えた体だから、平気だと思うけどなあ」
「お、そうか、でも、住む場所が違うから、君の姿は見れない訳だ」
「そこまで褒められたんじゃ、引き下がる訳にはいかないわね」
「えっ、何か浮かんだ?」
「私の走ってる姿を、友達に動画して貰って、それをあなたに送るってどう?」
「それもいいけど、目の前で生で見たい」
「それなら、月に一度くらいなら、一緒に、どうお?」
「あはは、俺はランニングは自信ないから、無理無理」
「私の走る姿を見たいんでしょ?」
「それは願っても無い事だけど」
「私が走る姿を生で見る。そして、待ち構えてスマホで動画を撮る。どうお?」
「おっと、出た!グッドアイデア。いいねいいね。それも断然オススメ?」
「カッコよく走ってる私の姿の動画を毎日見て『愛してるよ』と呟く、ってどう?」
「おお~、ついに出た、究極の告白」
「フフ、いいでしょ?……何よ興奮して」
「いやいや今から目に浮かぶようだよ。まさか夢にも思わなかった。いいねえ~」
「じゃ、決まりね、でも、実際にはウォーキングとかランニングなんて」
「うん?」
「経験がないから、具体的にどうすればいいかとか、手ほどきして欲しいんだけど」
「分りました、その件について、機会を見つけて大いに語ろう」
「思い立ったが吉日って言うでしょう?私の希望では、早い方がいいんだけど」
「うん、いいよ。時間が取れそうな時に連絡するから、近い内にね、それでいい?」
「嬉しい!お願いします」
「了解しました」


「猫や犬にまつわる話って他にはないの?他のペットも含めてもいいけど」
「結構たくさんあるよ。でも」
「ん?」
「ごめん。今日はちょっと、申し訳ないけど次回にということで、……ゴメン!」
「あら、そうなの?これで終わり?………仕方ないわね。……あい、分りました」
「いつになるか分らないけど、続編ということで、OK?」
「ハイハイ、期待してます!……で、……これから、することある訳?」
「いや、もう時間も時間だし、君と食事かお茶したくなったんだ」
「あら、いいわね!食事かお茶しながら続編の話でもする?」
「いや、別な話をじっくりしたいなあ」
「別な話って?」
「ま、とにかくレストランか茶店を探そう」
「ベツナハナシッテ ナンダロウ キニナルナア」

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