(迷走マインド)
(敬天愛人)
西郷隆盛が好んで使ったと言われる言葉に『敬天愛人』というのがあります。
この敬天愛人の意味については、いろいろな捉え方があって諸説あるようですが、私はこう捉えています。
人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである。天と同じように、誰へだてなく愛情を注ぎ、そして、自らを厳しく律し、無私無欲の人であることを心がけるべきである。そして、自分を愛する心をもって人を愛すること、つまり仁愛の人となることが肝要である、と。
どこかの国の一部の政治家に教えてあげたい言葉のような気がします。
西郷隆盛が好んで使ったと言われる言葉に『敬天愛人』というのがあります。
この敬天愛人の意味については、いろいろな捉え方があって諸説あるようですが、私はこう捉えています。
人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである。天と同じように、誰へだてなく愛情を注ぎ、そして、自らを厳しく律し、無私無欲の人であることを心がけるべきである。そして、自分を愛する心をもって人を愛すること、つまり仁愛の人となることが肝要である、と。
どこかの国の一部の政治家に教えてあげたい言葉のような気がします。
道を歩いていますと、
よく学校に通う小学生や中学生に会います。
また、
公園などでは遊んでいる小さな子供たちに会います。
通りすがりに、
「おはよう」とか「こんにちは」と声をかけるのですが、
返事がない子供が大半です。
むしろ、
こちらを、さも怪しげな目つきで見ています。
よく学校に通う小学生や中学生に会います。
また、
公園などでは遊んでいる小さな子供たちに会います。
通りすがりに、
「おはよう」とか「こんにちは」と声をかけるのですが、
返事がない子供が大半です。
むしろ、
こちらを、さも怪しげな目つきで見ています。
最近、
変質者などによる事件・事故が多いせいもあるのでしょうが、
学校で、
変なおじさんを見たら注意しなさい。
なんて言われているのかもしれません。
しかし、なんだか、
大事な心を失ってしまっているようでなりません。
明るく大きな声で、
「おはようございます」とか「こんにちは〜」と言葉を交わすことで、
お互いにすがすがしい気持ちになると思うのですが、
当世無理な望みなのでしょうか。
このような子供たちが大きくなったらと思うと、
なんだか……。
考え抜いたあとに行動するのが良いのか、行動しながら考えたほうが良いのかを論ずることは、
タブーなような気がします。考える対象や価値観によって大きく異なるからだと思うからです。
いずれにしても、その結果はとても興味がありますので、どちらが良いかは都度考えることに。
たわいもない取るに足らない事を、さも大事そうに語る事の愚は百も承知で掲載しております。
ただひたすらに書く。明るく楽しい未来のことを夢見ながら……。また明日も読んで下さいね!
タブーなような気がします。考える対象や価値観によって大きく異なるからだと思うからです。
いずれにしても、その結果はとても興味がありますので、どちらが良いかは都度考えることに。
たわいもない取るに足らない事を、さも大事そうに語る事の愚は百も承知で掲載しております。
ただひたすらに書く。明るく楽しい未来のことを夢見ながら……。また明日も読んで下さいね!
(家族の絆)
私たち親子には、家族の絆というものがありませんでした。いえ、ありませんでしたと言うより、考えたこともありませんでした。家庭の和みや喜びや癒しを感じたことがなかった、と言っていいと思います。
たった一度の人生の中で、家族であることの喜びが感じられないなんて、とても虚しいと思います。お金もとても大事なものだとは思いますが、それ以上に大事なものがあることを、心の底から学びました。
人への思いやり、優しさ、家族の絆などは、家族の一人一人の心に寄り添って生きて行く考えがなければ、生まれて来ないということが良く分りました。
ほんとの意味での、心の大きさ心の豊かさほど大切なものはないと、痛切に思うようになりました。残された人生を、せめてもの教訓として生きて行きたいと思います。
私たち親子には、家族の絆というものがありませんでした。いえ、ありませんでしたと言うより、考えたこともありませんでした。家庭の和みや喜びや癒しを感じたことがなかった、と言っていいと思います。
たった一度の人生の中で、家族であることの喜びが感じられないなんて、とても虚しいと思います。お金もとても大事なものだとは思いますが、それ以上に大事なものがあることを、心の底から学びました。
人への思いやり、優しさ、家族の絆などは、家族の一人一人の心に寄り添って生きて行く考えがなければ、生まれて来ないということが良く分りました。
ほんとの意味での、心の大きさ心の豊かさほど大切なものはないと、痛切に思うようになりました。残された人生を、せめてもの教訓として生きて行きたいと思います。