作家 川北町二 魅惑の世界

◇ 離別

(迷走マインド)

自分は何を道しるべにして生きて行けばいいのだろう、と思ったことはありませんか?
誰しも命を与えられて物心ついたころから、運命という得体のしれない何かに引きずられて生きてきたのではないでしょうか。
限りある人生を、もっと豊かに、もっと幸せにと思い、心を奮い立たせて生きてきたつもりでも、自分の今の姿を見て、迷走してきた足跡をはっきりと確認しつつも、一方では、いいじゃないか、何も考えずに、このまま突き進んで行こう、という呆れ返った自分がいることも確かです。


人生という名の列車は、
乗り合わせたそれぞれの人々の思いを乗せて、
ゆっくりと駅のホームを離れて行く。
例えば、
愛する人との別れの辛さは涙となり、
掛け合う言葉に感情が交錯する。

車輪に徐々に加速がつく。
手を振る姿が小さくなる。

別れは約束されない再会。
再会の喜びは想像のぬけがらなのか。
今、この瞬間が想像の扉を閉じる。
そして、
いつしか遠い遠い思い出と化してしまう。
たとえそれが、
深い愛ゆえであろうと憎しみ合った結果であろうと、
答えは一つ「離別」である。

汽笛を鳴らし列車はさらに加速し、
猛烈なスピードとなって走る。

走り窓に映る眼下の灯火は、
一家団らんの幸せを照らすのか。
それとも恋人たちの囁きを覆うためか。

時折聞こえる轟音は、
希望と期待への合図なのか。
それとも、
悲しみに打ちひしがれて咽び泣く悔恨の慟哭か。


考え抜いたあとに行動するのが良いのか、行動しながら考えたほうが良いのかを論ずることは、
タブーなような気がします。考える対象や価値観によって大きく異なるからだと思うからです。
いずれにしても、その結果はとても興味がありますので、どちらが良いかは都度考えることに。
たわいもない取るに足らない事を、さも大事そうに語る事の愚は百も承知で掲載しております。
ただひたすらに書く。明るく楽しい未来のことを夢見ながら……。また明日も読んで下さいね!

脳が空回りして物事に集中できない時が最近多くなりました。そのこと自体は余り気にしていません。むしろ、たまにはのんびりと悠長な気分で一日を過ごしても罰は当たらないだろう、と考えた方がいいのかも知れません。自分のことで精一杯ですので、日々起こる世の中の出来事や身の回りの事に思いを寄せる余裕が、だんだん薄くなっていく不安さが頭をもたげてきたりします。これはどこから来ているのだろうと思いながら……。ふと、元々の楽天的性格が警鐘を鳴らしているのだ、と…。


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