長いようで短い人生 心に響く感動と共に生きれたら……
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◇ エレキベースを演奏したくて

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エッセイ(31)
-エレキベースを演奏したくて-
ある日友人に誘われて、ジャズの生バンドの演奏会に連れていかれた時のことです。

いろいろな楽器から奏でられ、一つの旋律となって迫ってくる生バンドならではのド迫力の音楽に、圧倒されてしまいました。その中でも、舞台でスポットライトを浴びながらエレキベースを演奏している、イケメンのプレイヤーのカッコ良さに全身がしびれてしまいました。その時何を狂ったか、自分もあんなプレーヤーになりたいという思いが、急激に体内を駆け巡ったのです。

元々音楽は好きでしたので、人前で演奏できる喜びを味わえたら最高だろうなあ、と思ったのです。が、悲しいかな、楽器の演奏なんて、ドのつく素人ですので、マスターできるものなのだろうかと、不安になってきました。

一方では、あの一流プレーヤーも最初は素人だった筈だし、自分に出来ない筈はないという思いも交錯して、ついには、え~い、とにかく楽器を手にしなければ始まらないという思いが強くなり、気がついてみたら、秋葉原で楽器(エレキベース)とアンプ、スピーカー等を買い求める自分がいました。結構高い買い物でした。勿論、このことは友人には話していませんでした。心のどこかで、上手くなってびっくりさせてやろう、なんて甘い考えがあったのは確かです。

ところが、この典型的な衝動買いが、思ってもいなかった悩みを増幅させたのです。もちろん、師と仰ぐ人はいないし、それ向きの教室に通うのは仕事が忙しくて無理。このバカさ加減に自分でも呆れる程でしたが、買ってしまった以上何とかしなければ…。

以来、本屋で買った教本なるものをコピーして、至る所にコード表を張り巡らしたり、初心者用の楽譜をトイレの壁に張ったり、それはそれは必死の思いで練習しましたが、一向に上手くなりませんでした。やはり自分には才能がなかったんだと、サジを投げだしたくなるような諦めの日々が続きました。

そんなある日、ふと思うところがあって、先の友人に相談してみました。友人は事の成り行きを聞き、びっくりしていました。
実はこの友人は、ある楽団のトランペット奏者でした。彼の出演する演奏会には必ずと言って良い程足を運びました。かのエレキベース奏者と同じように、スポットライトを浴びながらソロ演奏をする彼の姿のカッコ良さに、一種の羨ましさと同時に尊敬の念がありました。心の中で、凄いなあ~、凄いなあ~、と、何度もつぶやいたものです。

事の成り行きと悩みを聞いた友人は、ニヤリとした後、笑いながらこう言いました。
「あはは、私と同じだ。あははは」
「えっ、どういうこと?」
私は意味が呑み込めず尋ねました。友人はまたも大きな声で笑いました。
「あはは、衝動買い、あはは、それそれ、衝動買い、いいね、いいね、あはは」
友人はいかにも楽しそうに、天を仰ぎながら笑い転げました。
衝動買いがいい?意味不明の友人の言葉に少しカチンと来ました。
「もしかして、バカにしてる?」
「あはは、違うよ、良くやったとほめてるんだよ」
「言ってる意味が分らない」
「その衝動買いのお蔭で、此処に居るこの人も、今、人様の前で演奏できる喜びを味わっているんだからね」
友人は自分の顔を指差しながらニコリとした、目が急に輝いて見えた。
「えっ、というと?」

友人は私の言っている意味と、私の抱えている悩みを理解し、答えになるかどうかは別だがと前置きして、舞台に立てるまでの話をしてくれた。私は一言も聞き漏らすまいと必死になって聞き、大事なことをメモした。そのメモに書いた内容は以下のようなものです。

  • 自己流は必ずと言っていいほど壁にぶつかりやすい。
  • 大抵の人はその壁の前で挫折してしまう。
  • 何が何でもマスターするのだ、という強い願望と熱意は失ってはならない。
  • 一番大事なことは、キャリアを積んだプロに教わるのが一番の近道であることを知ることである。
  • どの方法で教わるかはいろいろあるが、自分に最も適した方法を早く見つけることである。
  • 方法が決まったら、その教えに従い、脇目もふらずに、ただがむしゃらに練習に励むことである。
  • 習うより慣れろというが、習いながら慣れていくのが上達の早道である。
  • あるレベルに達したら、自ずと次のステップが見えてくる。

私は友人と別れて家に帰り、何度も何度もそのメモを読み返しました。

月日が流れ、友人の勧めもあり、私は縁あって地域のジャズ同好会に入りました。そして、大学が主催するコンパやパーティーなどでの演奏会に出演することが出来ました。とてもささやかではありますが、人様の前で演奏する夢が実現できて、とても嬉しく思っています。