出演者 ⇒ 小百合 ◇ 隆一 ◇ ナレーター(男)
部屋を包み込むように、ムーディーな音が静かに流れ、窓のカーテンは開いたままになっていて、窓から見下ろす夜景は、もう既に深い闇に包まれ、街の灯りが点々と見えていた。
小百合> 「街って動いているのね。あの灯りの下でみんな何してるんでしょうね」
(小百合が隆一の腰に手を廻しながら寄り添ってきた)
隆 一 > 「うんそうだね。何してるんだろうね。きっと楽しい事してるんじゃないかな」
小百合> 「楽しい事って?」
隆 一 > 「例えば、友達とお茶してるとか、恋人同士で好きな映画見てるとか」
小百合> 「それぞれの人が、それぞれの場所で、それぞれの人生してるのね」
隆 一 > 「うん、みんなが幸せだといいのにね」
小百合> 「ええ」
隆 一 > 「でも、そうもいかないのも人生だからなあ」
-少しの間-
小百合> 「隆一さん…… 今どんな気持ち?」
隆 一 > 「うん、なんて言うか、身体中が一点の曇りもない晴れ晴れした気持ちだし、それに」
小百合> 「ええ」
隆 一 > 「何かが渦を巻いた竜巻のように、グルグル廻ってるって感じ、さゆりは?」
(隆一は小百合の眼を見ながら尋ねた)
小百合> 「これが幸せなのかなって思ってる」
隆 一 > 「と言うと?」
小百合> 「ええ、この世に生まれたの自分の意思じゃないでしょ?」
隆 一 > 「それはそうだね。それだったらお化けだよね」
小百合> 「ふふ、だから言わば与えられた命と人生なわけじゃない?」
隆 一 > 「そうだね」
小百合> 「その与えられた命と人生を、みんな燃焼してるわけでしょ?」
隆 一 > 「燃焼の仕方は人それぞれだけどね」
小百合> 「そう、これまでの私ね、とてもつまらない生き方をしてきたような気がするの」
隆 一 > 「どうして? だって佐藤さんから小百合の家庭は名門で、裕福だって聞いてたけど」
小百合> 「確かにそうね、その意味では何不自由なく暮らしてきたわ、でもね」
隆 一 > 「うん」
小百合> 「いつも心が満たされないの、いつも心が空虚だったのね、自分が自分でなかったのね」
(小百合は隆一を見ながら寂しそうな顔をして言った)
小百合> 「だんだんと大人になるにつれて」
隆 一 > 「うん」
小百合> 「お金や名声よりも、もっともっと大事なことが、あるはずだと思うようになったのね」
隆 一 > 「うん」
小百合> 「隆一さんとお会いしてそれを確信したの、だからこれが幸せかなって思ったの」
(小百合は眼下に広がる夜の灯りの一点をじーっと見ながら呟くように言った)
(隆一に話すことで過去の辛く悲しい心の塊が溶け出して行くのを感じた)
小百合> 「これからは隆一さんの力を借りて、自分なりの人生を生きられたらいいなって思ったの」
(小百合の切々と語る苦しみや悩みが隆一には自分の事のように思われた)
ナレーター(男)>
隆一は、父親の事業の失敗を境に、まともにご飯も食べられない、辛い体験をしている。
子供心に、世の中の、いや家庭の激変を目のあたりにして、人の心の弱さを感じていた。父親が悪いわけでもない。母親が悪いわけでもない。これまで手にしていた、大事なものが壊れていく事に対する、人の心の弱さが、なにもかも失ってしまったかのように感ずるだけである。
打ちひしがれた心を修復するには、余りにも大きなエネルギーを必要とするのである。
(小百合の話しを聞きながら隆一は、女であるが故の悲しみを初めて知った)
小百合> 「今日という日が永遠に続くといいのに」
(小百合は隆一の眼に訴えるように呟いた)
(ピアノの奏でる悲しい音色がいっそう小百合の心を揺さぶった)
隆 一 > 「そうだね、これから予測できない、いろんな事があると思うけど、さゆりの願いが叶えられるといいね」
小百合> 「さゆりの願い叶えてくれる?」
隆 一 > 「大丈夫、きっと叶えてあげるよ」
隆 一 > 「叶えてあげるけど、もしもお金もなく、仕事も無くなってしまったらどうする?」
小百合> 「大丈夫よ」
隆 一 > 「多分、小百合には耐えられないと思うよ」
小百合> 「大丈夫よ、その時は私がなんとかするわ」
隆 一 > 「ほー、それは頼もしいね、心強い言葉だね」
小百合> 「ふふっ、でも私はこのままでいいの?何かすることある?」
隆 一 > 「うん、今のままで十分だ。そしたらきっと上手くいくよ」
小百合> 「でも、私って気が弱いところがあるから」
隆 一 > 「でもないと思うよ。夜汽車で見たさゆりは、気丈夫に見えたよ」
小百合> 「あの時はまだ知らない人だったから、無理に演技してたのかもね」
隆 一 > 「うん、人間ってそんなところってあるよね」
小百合> 「ええ」
隆 一 > 「さっきのこのホテルのオーナーから、似たような話聞いたことがあるよ」
小百合> 「あら、そうなの?」
隆 一 > 「うん、一見気丈夫そうに見えても、からっきし弱い人間だと言って笑ってたよ」
小百合> 「そうなの? あのオーナーがねえ。想像できないわ」
隆 一 > 「その弱さを奮い立たせて、今日を築いた人だから凄いよね」
小百合> 「しかも、女性だから、なおさら凄いと思うわ」
隆 一 > 「うん、だから、さゆりだってその気になれば、オ-ナーみたいになれると思うよ」
小百合> 「ふふ、隆一さんってその気にさせるのお上手ね」
(小百合は明るく笑った)
(暗闇の窓に映る二人の姿がくっきりと浮かび上がった)
隆 一 > 「汗流してきたら?」
(隆一は小百合に促した)
小百合> 「ううん。 隆一さんから先に済ませて。私しばらくこのままでいたいの」
隆 一 > 「そう、じゃお先にそうするかな」
小百合> 「はい」
ナレーター(男)>
隆一は洗面所に向かった。
小百合は窓に映る自分の顔に、小さな声で語り掛けた。
小百合> 「さゆり!…… これでいいのよね…… これから、わたし幸せになれるのよね」
(窓に映った小百合が大輪の花のように、にっこり笑って大きく頷いた)