最近家の風水診断が流行っていますが、ここでは昔ながらのいわゆる家相についてのお話をします。
人は誰でも自分に降りかかる災いを払いのけたいと思います。
占いをして貰ったり、おみくじを引いたり、宗教に傾倒したり、手相や顔相さらには、最近では足裏の相を見る人も現れたりして……。
悩みや不安はいつの世にも、誰にもあります。
まして昨今の殺伐とした世の中であれば尚更のことです。
人は、そんな心の悩みや不安に対する安堵を求めて、こういった行動に出るのだと思います。
未知の世界に対する人の心の動揺が、鏡に映し出されている一つの現象だろうと思います。
一方では科学では推し測れない不思議な現象があるのも事実です。
それらの現象に不安慄き我を失ってしまう人々もあるかもしれません。
また迷信を信じるかどうかの話も、当然人により考え方やとらえ方が違うと思います。
風水は迷信でしょうか?
家相は迷信でしょうか?
面白い話があります。
住宅の設計の打合せの時、家相を気になさるお客様は必ず最初にその旨の話をされます。
その場合は、お客様の意思に従い家相を考慮した設計をします。
ところが、お客様からは全く家相の話がなく、私からもお客様に家相や風水の話をせずに打合せを進めた場合、元々、お客様には家相に対する興味がないと推察される訳ですので、一般的にはそのまま普通に設計がなされても別段問題はない訳です。
面白い話と言うのは、例えそういう場合でも、私の場合には必ず家相を考慮した設計をします。
そのことは伏せておいて、設計の打合せを進めていきますが、その中でさり気なく、
「実はこの設計は家相のことも十分に考慮してあります」
と申し上げると、これまで家相のことは全く意識になかったお客様の反応が違ってきます。
いまどき、こんなに進んだ世の中なのに家相の話を持ち出すなんて……。と、お思いの方もおられるかもしれませんね。
ま、言ってみれば一種の迷信かもしれませんので、それはそれでいいのですが、昔から科学では割り切れない、不思議な現象が家の中で起こる話はよく耳にしますし、あながち無視できない面もある、と私は考えています。
神主さんに地鎮祭をしてもらったり、棟上のとき、棟梁を中心に屋根の上で神々に祈りを捧げるのは何故でしょう。
私自身、無宗教で無神論者ですので、迷信はあまり信じないほうなのです。
しかし職業柄かもしれませんが、こと家に関しては、出来れば地鎮祭や棟上の時のお祈りも含めて、家相も考慮しておいたほうが良いのではないかという、漠然とした概念が今ではすっかり定着してしまいました。
ですから、私の場合は必ず最初から家相を意識して設計している訳です。
もちろん、家相と言っても細部にわたりますと、場合によっては設計にならない場合が多々ありますので、最悪基本的な家相の方位、例えば表鬼門と裏鬼門だけでも考慮した設計をしています。
お客様の反応は、迷信とは言え出来ることなら災いとなるようなことは避けたい。というのが本音なのですね。
当初全然意識の外にあった家相を考慮した設計であることに、安堵しほっとした様子を見る時に、やはり本音の部分で確定的でない迷信を信じることはなくても、考慮しておいたほうが良いという、一種妥協点を見出したかの如く、不思議な心理が働いていることには間違いなさそうです。
家相を考慮した設計だからといって、必ずしも何事も起こらないという保証はない訳ですので、ま、一種の精神安定剤みたいな、いい意味での暗示にかかった状態、そんな働きがあると思っておいたほうが良さそうですね。
それによって人の心が平穏になるのでしたら、それはそれで良しとすべきでしょう。